2020年11月号記事
幸福実現党 党首
釈量子の志士奮迅
第96回
幸福実現党党首
釈量子
(しゃく・りょうこ)1969年、東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒。大手企業勤務を経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。2013年7月から幸福実現党党首。
釈量子のブログはこちらでご覧になれます。
人と神をつなぐ「自助」の精神
自民党総裁選で菅義偉官房長官が圧勝し、第99代内閣総理大臣に就任しました。
菅氏は総裁選中から「自助、共助、公助、そして絆」を目指すべき社会像として挙げ、こう述べました。
「まずは、自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族で助け合う。その上で、政府がセーフティーネットで守る」
それに、野党が噛みつきます。合流新党・立憲民主党の枝野幸男代表は「自分の力だけでできない時のために政治がある」「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」と真っ向から反対。左派系メディアもこぞって批判を展開しました。
与党も野党も「大きな政府」
スマイルズの『セルフヘルプ(自助論)』が説くように、何かにつけて政府からもらうことばかり考える国民が増えれば国は傾き、自らを助け努力する人が増えれば繁栄する─。これは国家繁栄の鉄則です。
しかし、これまで自民党が行ってきた政治は、その真逆でした。安倍政権が福祉国家の実現に向けて社会主義政策を実行するなか、新型コロナウィルスの感染拡大が起きました。
コロナ感染による死者数は1500人未満(9月17日時点)。一方、交通事故死者数は年約3000人以上で、餅などでのどを詰まらせて亡くなる方も1月だけで約1300人に上ります。にもかかわらず政府は「自粛の強要」を行い、補償金・助成金をばら撒きますが、年末を越せない企業が加速度的に増えています。"戦後の焼け野原"を作り出してから「自助」に言及するのはいかがなものかと、思わずにはいられません。
枝野氏を先頭にする野党が前面に掲げる「公助」の原資は、税金です。民間人が汗と涙を流して生んだ富を、政府が強権で徴収したものです。議員や行政機関が、原資を稼いでいるわけではないにもかかわらず、「公助こそ政治の役目」と胸を張るのは「人の褌で相撲を取る」姿そのものです。
与野党ともに「大きな政府」を志向する中、菅氏は「デジタル庁」を新設します。マイナンバーと預金口座との紐づけを加速することで、貯金税など、国民資産へ課税するインフラとなりかねません。菅氏の功績は弱者切り捨てどころか、強者すらいなくなる社会を目指すことにもなってしまいます。
この世は「魂修行」
全ての人を置き去りにしない政治を目指すには、「本来『自助』とは、人間と神をつなぐものだ」という視点が必要だと思うのです。
私たち幸福実現党は、「人間は本来、霊的存在であり、『魂修行』のためにこの世に生まれてくる」と考えます。この世で遭遇するさまざまな苦難の中、自らの精神を成長させ、さらに他者に愛を与えることにこそ、人は真に幸福を感じるものです。
そこには神仏の温かい眼差しがあります。転んだ子供が一人で立ち上がるのを見て喜ぶ親のごとく、「自分でできるところまでやってみなさい。人間には隠された力があるはずだ」という限りない信頼です。「天は自ら助くるものを助く」の通りです。
そうした人間観があれば、国や他人への依存心を助長し、自助努力の精神を放棄させかねない過度な「公助」こそ、人間の幸福にはつながらないことが分かるはずです。
経済政策も、「魂修行」の観点から考え、人々が自らの足で立つやる気を引き出すよう、構築する必要があります。それが、私たちが掲げる「小さな政府」のビジョンです。
自ら働いて得た「果実」である収入をできるだけ自由に使えるようにするのが「減税」です。働いて得たお金を政府に取り上げられるのではなく、自己投資に使うもよし、将来に備えて貯金するもよし、困った人を助けるもよし、という具合に、使い道は各人の自由意志に任されるべきでしょう。
「規制緩和」でも民間は新たな仕事にチャレンジしやすくなります。雇用の流動化も図られます。それによって、雇用を確保することも、政治の使命だと考えています。
いつの時代にも、誰もが「もうダメだ」と思う時に発奮する人が現れ、新しい起業家が登場します。
新しい自助論の時代の到来が、未来を拓くと信じています。