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《本記事のポイント》

  • 栄光を手に入れるために必要な「代償の法則」
  • 女性たちが織りなす自己犠牲の心
  • 永遠なるものの影を追いかける

任侠の一門に生まれた喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。

そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく……。

李相日監督が「悪人」「怒り」に続いて吉田修一氏の小説を映画化。主人公・喜久雄を吉沢亮、喜久雄の生涯のライバルとなる俊介を横浜流星、喜久雄を引き取る歌舞伎役者・半二郎を渡辺謙、半二郎の妻・幸子を寺島しのぶ、喜久雄の恋人・春江を高畑充希が演じた。

栄光を手に入れるために必要な「代償の法則」

映画ではまず、中学生でヤクザの父親を殺されて、芸の道に入るものの、後ろ盾だった歌舞伎の名優・花井半次郎(渡辺謙)を失い、冷飯を喰らい、ついには歌舞伎界から追放同然につまはじきにされ、転落流浪の日々を送る喜久雄の姿が克明に描かれている。

原作者の吉田修一氏は執筆にあたり、100年近く前に制作された映画『残菊物語』(溝口健二監督作品)をヒントにしたのだという。

「残菊物語」でも、歌舞伎の名門に生まれた主人公・菊之助が父親に反発し、ドサ周りに明け暮れる中で、真実の芸道に目覚める姿が描かれていた。道を究めるには、その代償として、奈落の底にまで落ち込み、人々の苦しみや醜さなど人間の真実の姿を直に観察し、芸の肥やしにすることが必要だということなのだろう。

この「代償の法則」について、大川隆法・幸福の科学総裁は著書『生命の法』の中で次のように語っている。

『人生には代償の法則が必ず働くのだ』ということを知ってください。

何かを得ようとして努力しても、それがストレートには手に入らないこともあります。しかし、正当な目的のために、正当な努力・精進をしていた場合には、どこかの時点で必ず実りを得るようになってきます。汗を流し、智慧を絞り、工夫をし、精神的なエネルギーを使い、志を掲げ、熱意を持って生きたならば、必ず努力相応のものが表れてきます。

それが、この世において表れないならば、この世を超えた世界において、光や人格の輝きとして、あるいは、天使の羽として表れてくるのです

女性たちが織りなす自己犠牲の心

また、この映画の魅力の一つは、歌舞伎の演目や映画の登場人物を通じて、自己犠牲に生きる女性たちの姿が描かれている点である。なかでも、喜久雄の幼なじみで恋人でありながら、家出した御曹司・俊介を支える道を選ぶ春江(高畑充希)の存在は注目に値する。

春江は俊介の下積み生活を支え、彼が歌舞伎界に復帰し、再び喜久雄のライバルとして頭角を現すようにすることで、逆説的に喜久雄の芸道を押し進める。

この春江のモデルになっているのが、前出『残菊物語』で、主人公の菊之助を支えるお徳という女性だろう。お徳は、菊之助のなかに眠っている才能を見抜いて、下積みの生活を支え、大成へと導く。しかし、お徳自身は、途中で体を壊して死んでしまうのだ。

男の持てる才能を開花させるべく、自ら自己犠牲の人生を選ぶ女性たちの生き様が、この物語に深い陰影を与えている。

この自己犠牲の精神について、大川総裁は著書『青銅の法』の中で次のように語っている。

(自己犠牲の精神について)誰も理解できなくなったのであれば、それは、本当に『この世限りの世の中』であると言わざるをえません。各人が自分の利益、利害だけのために生きる世の中であり、かたちを変えた『獣の世の中』でもあるということを知ってほしいのです。

こうしたことを教え続けるためにも、やはり、宗教というものが必要なのではないかと思います

永遠なるものの影を追いかける

この映画では、主役の吉沢亮と横浜流星が女形として歌舞伎を吹き替えなしで演じているところが話題だが、この挑戦について李相日監督は「歌舞伎を見せる以上に、歌舞伎役者の生き様を撮りたかった」とし、「身体表現としての歌舞伎の完成度より、内面的な到達点を優先すべきだと思ったので、そこの迷いは1ミリもなかった」(映画パンフレットより)と語っている。

確かに、主人公・喜久雄が生涯を通じて探し求めていた"心の景色"を、人間国宝になった後、演目「鷺娘」を演じながら見い出し、恍惚感に浸るくだりは圧巻である。

鷺娘は鷺の妖精であり、人間に恋をして町娘に変身し、道を外した人生を送る。妖精の姿に戻った後、閻魔大王の叱責を受け、剣の山を登らされ、黒縄地獄でノコギリを引かれるなど、様々な地獄巡りをさせられ、息絶え絶えになったところで幕が閉じるのである。

喜久雄は鷺娘として地獄の苦しみを演じる中に、神秘的な光を感じ、芸道に追い求めていた"光景"をついに目のあたりにする。そしてその、えも言われぬ神々しさに、「なんて綺麗なんや」と思わず呟いて映画は終わるのだ。

それは、地獄巡りの中で鷺娘が生前の行状を悔い改めて、ついに地獄の底を支えている仏の御慈悲を感じ取ったかのようでもある。

大川隆法総裁は『仏法真理が拓く芸能新時代』の中で、映画や小説がおいて、「普遍的なもの影を宿しているかどうか」が極めて重要だとし、「今は流行しているものであっても、あの世においては、普遍的なものによって、『天国的か、地獄的か』を必ず分けられることになっている」と指摘している。

芸道を究めるなかで艱難辛苦を舐め尽くした喜久雄が、最後に到達した己の境地に思わず感嘆を漏らす姿は、見るものに深い感銘を呼び起こさずにはおかない。"永遠なるものの影"を追い続けた男の一生描いたこの作品は、血筋でも、家柄でも、名声でもない、内面へと続く道を描いた点で、紛れもない傑作と言えるだろう。

 

『国宝』

【公開日】
全国公開中
【スタッフ】
監督:李相日 原作:吉田修一
【キャスト】
出演:吉沢亮 横浜流星ほか
【配給等】
配給:東宝
【その他】
2025年製作 | 175分 | 日本

公式サイト https://kokuhou-movie.com

【関連書籍】

いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版