直接死は29万8千人、全壊・焼失建物は235万棟、経済被害は292兆円に及ぶ──。
国の有識者会議が3月に公表した「南海トラフ巨大地震」の被害想定には、想像を絶する数値が並ぶ。
だが、本誌7月号の「小松左京が描いた戦慄の『未来シナリオ』」では、ここ30年に大きな地震が起きた、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震など、いずれも「確率が低い」とされた地域が多かったことを振り返り、「想定外」の危機について考えた。
大川隆法・幸福の科学総裁を通して語られたSF作家・小松左京(1931~2011年)の霊言を基に、その代表作『復活の日』『首都消失』『日本沈没』で描かれた恐怖のシナリオを検証。人間の思いと行いの選択次第で、これらは起こりえることも指摘した。
だが、小松左京は、決して「不幸の予言者」となることを望んでいなかった。それらの代表作は、恐怖の未来を回避するために書かれたものだった。
霊言の中で、小松左京の霊は、こう語る。
「まあ、『最悪のシナリオ』をいちおう出しといたから、これよりよい未来をつくってくださいね、頑張ってね。みなさんがたで知恵を出し合ってね。
最悪は、『日本沈没』ですから。それは、物理的な意味での日本沈没もあるけれども、経済的、政治的、それから軍事も入れて、いろいろな意味での日本沈没はありえるから。
まあ、そういう日本沈没のシナリオを外していく。『新しいシナリオ』を自分たちで書くことが大事だっていうこと。よそは書いてるから。外国はシナリオを書いてますので」(『SF作家 小松左京の霊言 「日本沈没」を回避するシナリオ』)。
今回、Web版では、その真意を探るために、『日本沈没』で描かれた未来図の一部が、実際に起きてしまった時、それを目の当たりにした小松左京がどのように受け止めていたのか、について2回に分けて追う。今回は、その前編。
阪神・淡路大震災で、『日本沈没』の光景が現実化した
1973年発刊の『日本沈没』では、夕方の帰宅ラッシュが始まる頃に、東京で震度7級の直下型大地震が起きる。
東京駅、丸の内、有楽町、神田、両国、上野、池袋、新宿などの駅で甚大な犠牲者が出る。ビルの窓からはがれた何万枚ものガラス板や化粧レンガ、広告塔などが、人々の頭上に降り注ぎ、駅のプラットフォームから落ちた人々に向けて電車がつっこみ、路上では車の事故が団子衝突を繰り返し、巻き込まれた歩行者が死んでゆく。
地下鉄は停電し、地下街では火災が発生。八重洲前、銀座四丁目、日比谷、新宿、渋谷、池袋、上野などで火の手が上がる。
この『日本沈没』で注目されたのが、被災時の高速道路の描写だった。