全国公開中
《本記事のポイント》
- 荒廃したハンブルグで芽生えたビートルズの愛と平和の思想
- 初期メンバーの突然の死とジョン・レノンの慟哭
- 下積みの努力なくして、天才なし、成功なし
リバプール出身のザ・ビートルズが活動初期に多くの時間を過ごし、そのスタイルを確立させたハンブルク時代。
大空襲で徹底的に破壊されたハンブルグでジョン・レノンらが感じた、愛と平和の大切さ。かけがえのないメンバーの突然の死に慟哭するジョン。過酷な下積み時代がビートルズのスタイルに与えた影響など、伝説的ロック・グループの秘話が明らかにされた貴重なドキュメンタリーだ。
荒廃したハンブルグで芽生えたビートルズの愛と平和の思想
映画は、1960年のハンブルク初訪問の経緯から、63年のセカンドシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」のイギリスでの大ヒットを経て、66年の6回目の訪問までを、元メンバーおよび関係者の証言やアーカイブ映像・音声、アニメーションなどを織り交ぜながら時系列で振り返っていく。
なかでも興味深いのは、ビートルズが訪問したハンブルグが、連合軍による戦略爆撃によって徹底的に破壊された都市であったという事実である。
彼らの出身地リバプールの死者が約4千人だったのに対して、ハンブルクの死者は、その10倍の約4万人にも上ったという。その日の食べ物にも困り、主婦が売春婦となって生活費を稼ぐことが日常的に行われていた、当時の瓦礫まみれの風景が生々しく記録映像で綴られている。
ハンブルグの、物心ともに荒廃した状況下で、ビートルズは場末のヌード劇場の幕間からキャリアを始めた。この惨めな環境のなかで、ジョン・レノンらの心に、愛と平和の伝道師としての使命感が育まれていったようだ。
大川隆法・幸福の科学総裁による公開霊言『ジョン・レノンの霊言』の中で、ジョン・レノンの霊は、ハンブルグ時代について次のように語っている。
「ドイツも、ねえ? 敗戦後だからね。敗戦後のドイツで、イギリスとドイツの憎しみは残ってたからね。だから、ドイツにイギリスの音楽が広がるようだったらさ、イギリスとドイツの和解、国民性の和解だって進むじゃないか。そういう気持ちは、まあ、生意気だけど、あったことはあったね」
後にジョン・レノンは、「僕たちは、リバプールに生まれ、ハンブルクで育った」と語っている。イマジンやパワー・トゥー・ザ・ピープルなどの平和の調べを紡ぎ出したジョンの原点は、徹底的に破壊されたハンブルグの街を目の当たりにしたところから始まったと言えるだろう。
初期メンバーの突然の死にジョン・レノンが示した慟哭
本作の興味深い点は、初代ベーシストのスチュアート・サトクリフの突然の死に際して、ジョン・レノンが示した悲しみが、目撃者の証言によって生々しく語られている点である。
サトクリフはビートルズのハンブルク巡業に2度参加した後、本格的に画家の道に進むことを決意し、ビートルズを脱退。これにより、ギターを担当していたポール・マッカートニーはベーシストに転向することになった。
しかし、3回目の巡業のためにビートルズがハンブルクを訪れる前日、サトクリフは、脳出血により同地で突然その生涯を閉じてしまった。
そのことをハンブルグに到着して知らされたジョン・レノンは、何時間も笑い続け、最後に泣き続けたと、サトクリフの恋人アストリッド・キルヒヘアの証言によって実に生々しく語られている。
「本来、この地上で生きているのは、みんな、つらい、苦しいことだと僕は思うよ。だけどさ、この地上に生きててもさ、この地上に生きてる、その苦しさやつらさや悲しさをね、まあ、一時間なりとも忘れることができる。そういう夢の世界をつくり出すことができたらね、僕はね、その間、彼らを愛したことになると思うんだよ。僕の『愛の定義』はそういうことさ。僕からファンのみんなへのプレゼントなのさ。だから、僕はね、まあ、アーティストだけど、"サンタクロース"でもあるんだよ」(『何を以って愛とするか』より)
大川総裁による公開霊言で、ジョン・レノンの霊はこう語っていた。貴重な仲間を失ったことが、人間の悲しみや苦しみ、愛することの切なさの感覚を深め、人々の心に刺さる楽曲へと昇華していったのだろう。
また、当初よりジョンが世界を視野に入れて歌っていたことは以下の発言からも伺える。
「僕なんか、ビートルズを始めた段階で、もう、ある意味ではねえ、『個人としての自由』は捨てたよ、そのときに。うん。『個人としての自由』は、もうなくなったね。だから、もう、個人じゃなかったね。『世界 対 自分』ということで、あえて日本的に言えば、"世界相手に相撲を取ってる感じ"かな。戦うのは個人だけどね。まあ、仲間もいたけどね」(『何を以って愛とするか』より)
当時の演奏を直接見たと言う女性の証言も本映画には登場するが、薄暗い地下への階段を降りて、演奏しているビートルズを見たときに、光り輝く美しい存在を見たことに「とても驚いた」と語っていたのが大変印象的だ。
下積みの努力なくして、天才なし、成功なし
ハンブルク時代のビートルズは、1日8時間の演奏をこなし、決して質が良いとは言えない観客から、「もっとノリの良い音楽をやれ」などの野次を飛ばされていたという。
ジョンをはじめメンバーは、誠実にその要望に応え、リズミカルでノリのよいロックンロールへと自らのスタイルを高めていったのである。
大川隆法総裁は、その著書『なお、一歩を進める』の中で、「『下積み』とか『凡事徹底』の部分を甘く見ないでください」と若い人たちに向けて忠告しているが、努力なくして、天才なしはビートルズにも当てはまると言えるだろう。
当時、自分たちより人気のあるミュージシャンを「先生」と呼び、その優れた演奏法を必死になってコピーしていたというビートルズの修行時代を描いたこの作品は、志の力、下積みや努力、人から学ぶことの大切さを改めて教えてくれる。
『NO ハンブルク NO ビートルズ』
- 【公開日】
- 全国公開中
- 【スタッフ】
- 監督:ロジャー・アプルトン
- 【配給等】
- 配給:NEGA
- 【その他】
- 2024年製作 | 57分 | イギリス
いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版
【高間智生氏寄稿】映画レビュー