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《本記事のポイント》
- 肉体を自分そのものだと錯覚することの過ち
- 破滅への暴走を加速する"思考停止"という罪
- 美しい容貌ではなく、美しい人生を
50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベス(デミ・ムーア)は、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という謎めいた薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」(マーガレット・クアリー)という若い自分が現れる。
若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、エリザベスの分身とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。
監督・脚本はフランスの女性監督コラリー・ファルジャ。2024年・第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞。デミ・ムーアはキャリア初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされた。共演は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などの話題作で活躍するマーガレット・クアリー。
肉体を自分そのものだと錯覚することの過ち
この映画で描かれているのは、自分に向けられる視線(特に男性の)だけを自己評価の基準にしてきた、かつての人気女優エリザベスが、肉体を自分そのものだと思い込むことによって、のめり込んでいく心の中の地獄である。
50歳になったエリザベスは、いまだにエアロビクス番組でインストラクターをやっていて、プロデューサーのハーヴェイ(デニス・クエイド)に番組からの降板を言い渡されてしまう。
失意と怒りで心が掻き乱される中、エリザベスは運転中に自分がモデルを務める広告看板が外される瞬間に遭遇し、ショックで周りが見えなくなり、横から来た車に衝突されてしまう。そして、この事件をきっかけに、禁断の薬へとめり込んでいくのだ。
他人の視線や評価に囚われて自分を失っていくエリザベスについて、パリ政治学院卒業者でもあるコラリー・ファルジャ監督は次のように語っている。
「私たちが引きつけようとしているものはその視線であり、それこそが私たちを作り上げている。エリザベスにとって、若く新しい身体に戻ることには、本当の喜びと、それがもたらす絶対的な力がある。しかし彼女はまた同じ罠に陥ってしまう。この世界で再び居場所を得るには、これまでと同様に美や完璧さを価値基準とする枠組みに自らを適応させなければならず、再び破滅へと向かってしまう」(映画パンフレットより)
肉体を自分だと錯覚することの過ちについて、大川隆法・幸福の科学総裁は著書『太陽の法』の中で次のように指摘する。
「あなたがたが、自分自身だと思っているものは、あなたがたのほんものではなくて、ぬいぐるみにしかすぎません。
肉体とは、魂がこの世で修行を積むためののり舟であり、自動車にしかすぎないのです。ですから、舟の舟頭があなた自身であり、自動車の運転手があなた自身であって、舟や自動車は、あなた自身ではないのです」
「ジキルとハイド」(ロバート・ルイス・スティーヴンソンによる小説で、善と悪の二重人格をテーマにした作品)を彷彿とさせるこの作品は、SNS全盛時代の今、容姿や外見にとらわれることが、現代人の苦しみの最たるものであることを象徴しているとも言える。
破滅への暴走を加速する"思考停止"という罪
この映画のとても印象的なところは、異常なスピードで進み始めた自分の老化によって、分身スーが暴走を始めたことに気づいたエリザベスが、破滅への道から引き返そうともがきながら、ついにその手がかりを見つけることができないという絶望感溢れるシーンだ。
エリザベスは、かつての同級生と偶然に出会い、彼との会食の約束を取り付け、それをきっかけに人間らしい交流を取り戻そうとする。しかし、自らの身体的な衰えが相手を失望させることに危惧を抱き始め、何度も鏡の前でメイキャップをやり直すうちに、約束の時間を逃してしまい、結局、ドタキャンしてしまう。
ベッドに腰掛けてがっくりと肩を落とすエリザベス。その後ろに転がっていて、相手のメッセージを何度も受信するスマートフォンが、彼女の孤独と絶望を象徴している。衰えゆく自らの容姿への不安と人間らしさの回復の間で揺れ動く姿をデミ・ムーアが迫真の演技で演じている。
政治哲学者のハンナ・アーレントは、「悪の凡庸さ」に関する考察の中で「因習的で規格にはまった言い方や行動様式というのには、現実から我々を守るという社会的に認められている機能がある。すなわち、それらによって現実の出来事が生じているときに思考が注意を向けないようになるのである。もし我々がいつ何時でもこうした出来事に注意を向けるように求められたら、我々はほどなく疲れ切って消耗してしまうだろう」とした上で、「思考の欠如」のなかにこそ、思いもよらない悪の根源が潜んでいることを指摘した(『精神の生活』より)。
エリザベスが陥った地獄の罠とは、"思考停止"という、現在の「常識」への盲従でもある。他人から押し付けられた浅薄な価値観に踊らされ、自滅への道を歩んでいく元人気女優の姿を、ファルージャ監督はどことなく軽妙なブラック・コメディに仕立て上げた。
美しい容貌ではなく、美しい人生を
映画は、これまでエリザベスを持ち上げてきたハリウッドの有力者たちが、怪物と化したスーの暴走によって、血の海の中をのたうちまわるという奇想天外な結末を迎える。それは、ハリウッドが量産するセクシーさやバイオレンスを礼賛する映画作品が、最終的に観る者を血の池地獄へと誘っているのを象徴するかのようだ。
「血の池地獄は今も存在する。動物的本能が勝って、自制心や、本物の愛が敗れた場合に往くのだ。」
血の池地獄で試されているのは、『おまえの本質は、人間か、それとも動物か。』ということである。」(『地獄に堕ちないための言葉』より)
落ち目になりかけた元人気女優エリザベスが本来求めるべきだったのは、美しい"容貌"ではなく、美しい"人生"であったはずだ。
「世間の多くの人々が自分を生かしてくれていることに対して、感謝の気持ちを持ってください。
また、『仏や神が、このような偉大な修行の機会を与えてくれた』ということの喜び、『今世、この時代に生まれて、人間として生きられる』ということの喜びを十分に知ってください。
それが、あなたが美しい人生を生きるための秘訣でもあるのです。」(『悪魔の嫌うこと』より)
主演のデミ・ムーアは、この映画の魅力について「『ありのままの自分を受け入れることの大切さ』だと思う」(映画パンフレットより)と語っている。美しさを求めながら、限りなく醜さの中に落ち込んでいく女優の人生を描いたこの映画は、自分を煽り踊らせている「常識」に対して、"思考停止"状態であることへの一種の警鐘とも言えるだろう。
『サブスタンス』
- 【公開日】
- 全国公開中
- 【スタッフ】
- 監督:コラリー・ファルジャ
- 【キャスト】
- 出演:デミ・ムーア マーガレット・クアリー
- 【配給等】
- 配給:ギャガ
- 【その他】
- 2024年製作 | 142分 | R15+ | イギリス・フランス合作
公式サイト https://gaga.ne.jp/substance/
【関連書籍】
いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版