飛鳥寺・釈迦如来像。出典:「ColBase」を加工して編集部作成

2021年10月号記事

地域シリーズ 大阪・奈良

日本史最大の衝撃

聖徳太子は仏陀の生まれ変わりだった


聖徳太子1400年遠忌の今年、衝撃の事実が明らかになった。
大川隆法・幸福の科学総裁による霊言で、聖徳太子がインドの仏陀・釈尊の"生まれ変わり"であると分かったのだ。ゆかりの地をめぐる中で、確かに聖徳太子と仏陀のつながりを見つけることができた。

(編集部 竹内光風、河本晴恵)


太子と仏陀をつなぐ共通点

日本精神の源流となった聖徳太子の天才性

公開霊言-聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実.jpg
『公開霊言 聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実』
幸福の科学出版
大川隆法著
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時代を変革する大天才の出生には、伝説がつきものだ。聖徳太子も、その一人である。

今から1448年前の西暦573年の正月、第31代用明天皇の皇后である穴穂部間人皇女の夢の中に、一人の「金人(きんじん・金色に光る僧侶)」が現れた。

「わたしはこの世の中を救うために、人間として生まれなければなりません。どうかあなたのお腹をお貸しください」

その金人に、間人皇女は、「わたしのお腹は、穢れております」と返答した。

それでも諦めない金人は再度懇願し、ついに口の中から間人皇女のお腹に宿ったという。

翌年の正月、宮中にある厩戸の前で、間人皇女は出産。そこに侍女たちが集まると、西方から赤黄の光が差し込んだ。こうして誕生したのが、厩戸豊聡耳皇子、のちの聖徳太子である。この場所は、現在の橘寺だ。

まるで日本に"メシア"の降誕を示すかのような出生譚には、すでに伝わっていたキリスト教の影響が見られるとの指摘もあるほどで(*1)、日本人にとって聖徳太子の存在がどれほど大きいものだったのかが分かる。

後世、太子は救世観音の化身であるとか、仏教の高僧たちの転生の姿ではないかとも噂されてきた。

しかし、幸福の科学の霊査では、聖徳太子の魂は、実は「釈尊(仏陀)」とつながっていた(生まれ変わりだった)ことが分かっている(*2)。確かに、「金人(黄金に輝く覚者)とは釈尊そのものを指す」という説は強く、「当時から"釈尊の生まれ変わり"と言われることもあった」(同)ことから見ても、それは大いにうなずける。

(*1)久米邦彦著『久米邦彦歴史著作集 第一巻』(吉川弘文館)
(*2)『聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実』(大川隆法著、幸福の科学出版)


聖徳太子の誕生地・橘寺

奈良県 明日香村

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祖父の欽明天皇の別宮・橘の宮の地で、聖徳太子の誕生地。太子の『勝鬘(しょうまん)経』講義の後に臨んだ奇跡をたたえて、推古天皇が橘寺とした。

 

次ページからのポイント

共通点・千年以上も時代を先取り

共通点・超能力と神秘性

共通点・大国に引き上げる世界性