「国家か、それとも市場か」コロナ禍だからこそハイエクとケインズの論争を振り返る
2020.08.20
《本記事のポイント》
- 明らかになってきた新型コロナ対策が与えた経済への影響
- 「大きな政府」は本当に経済を回復させるのか?
- 自由を守ることが経済を守ること
中国の武漢で発生した新型コロナウィルスが全世界に拡大し、世界的なパンデミックを引き起こした。世界の感染者は2200万人、死亡者は77万人(2020年8月19日現在)に上る。
アメリカやイギリスをはじめとする多くの国は、ロックダウン(都市封鎖)などで、個人の行動を制限する感染対策を実施。日本も外出自粛や休業要請などで、経済活動を抑止する政策を取った。しかし4~6月期のGDP(国内総生産)は、前期比年率でアメリカでは32%、イギリスでは59%、日本では27%の下落を記録。軒並み過去最悪の落ち込みで、新型コロナによる不況が世界に広がり、深刻化していることを物語っている。
よみがえる「ニューディール政策」?
新型コロナによる不況は、1929年の世界大恐慌と比較して論じられることが多い。そのためか、大恐慌時に講じられた「ニューディール政策」に注目が集まっている。この政策は世界で初めて「ケインズ経済学」が政策として実施されたものと言われ、政府が国の経済に介入し、公共事業を展開することで景気回復を狙うもの。
こうした政策になぞらえて、イギリスのジョンソン首相は、病院や道路などの整備による公共投資を行おうとしている。
アメリカのマサチューセッツ州では、新型コロナの感染ルートを調査し、感染者に接触したとみられる人に検査を促す「感染追跡者」に、失業者を含む1000人以上を採用した。このような感染症対策と関連した公共事業をアメリカ全土に広げるべきではないか、という声も出始めている。
加えて、西部のユタ州では公園整備に失業者を採用する計画、ニューヨーク州では次世代高速通信「5G」の敷設に失業者をあてるというアイデアもある。
危機の時代には度々、政府が市場に介入することを正当化する声が高まる。しかし、本当に正しいのか。近代経済学の巨匠ケインズと、ノーベル経済学者ハイエクが、手紙上で交わした「政府のあり方」についての議論の要旨を振り返り考えてみたい。
ケインズ:「庶民よりも、賢明なエリートは経済を導ける」
前述した「ニューディール政策」はケインズの提言で実現したものではないが、政府の介入を促し、公共事業を展開することによって、雇用を増やし景気を良くしていくというケインズ経済学の基本的な考えを実施した。
政府の介入を奨励する背景には、「ハーヴェイロードの前提」がある。これは「庶民よりも最適な判断は、専門家やエリートと呼ばれる人たちの方ができる」という前提。ケインズの出身地であり、高級住宅街であるイギリスのハーヴェイロードにちなんで付けられたもの。
ケインズの主張は、政府が積極的に介入して、民間の経済活動を促進していくことで経済は回復していき、無秩序な経済には、政府による善導が必要というものだ。
ハイエク:「『大きな政府』は、致命的な思い上がり」
ハイエクは、ケインズの考えと真っ向から対立する。経済は単純ではなく、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざの通りに、直接関係ないように思われるものがまわりまわって影響しているため、政府が市場で起きることのすべてを一元的に管理することはできないとしている。
むしろ、市場に備わる解決能力に任せた方が適正な結果が生まれる。市場に介入し、コントロールしようとすること自体が、政府の「思い上がり」としたのが、ハイエクの主張だ。
加えて、ハイエクは、政府が市場に介入する「大きな政府」は、個人の経済活動を抑制し、ともすれば選択の自由さえも制限してしまうと危惧し、自由の根源には、「経済的な自由」がなければならないと説いた。
ハイエクが支持する「小さな政府」は、国防、警察、消防などの公共性の高いものだけを請け負い、民間が経済活動しやすいように規制を取り払い、自由を確立するものだ。
頼りない「大きな政府」は、もういらない
ケインズが主張するような大規模な公共投資は、世界大恐慌のような未曾有の危機の時にのみ短期的に実施するとも言われる。しかし、そもそも本当にそれは有効なのか。
1929年の世界大恐慌時に行われた「ニューディール政策」に、景気回復の効果は見られなかったと指摘されている。第二次大戦にアメリカが参戦するまで、国内の失業率は2桁を切ることはなかった。ニューディール政策は、提供するサービス・商品のシェアを独占的に支配する企業の出現を促し、価格を引き上げる原因になったと言われている。
失業者は増え続け、不当に商品の価格だけが上がるなど「成果なし」の政策に虐げられる人々は、憲法上保障している「自由な経済活動」を求め、裁判を次々に起こした。
経済を回復させるならまだしも、効果さえ疑わしく、個人の経済的自由も侵害するとしたら、ケインズ的手法は望ましくないと言わざるを得ない。
それでも「大きな政府」への期待感は、社会から消えない。ハイエクは、このように語る。
「(『大きな政府』への志向は)人間のコントロールを超えた『客観的事実』によってもたらされた結果では決してなく、この半世紀にわたり、各国の政策のすべてを支配するようになるまで、人々に吹き込まれ宣伝されてきた見解こそが生み出した結果なのである」(ハイエク著『隷属への道』)
あくまでも、経済は、一人ひとりの経済活動で成り立っている。人々の声を一番知っているのは、ニーズに応え、努力を重ねている民間企業だ。こうした経済の主体者の行動を制限したら、いつまでも経済は回復しない。
今やるべきは、新型コロナ対策に留意はしつつも、過剰な介入を避け、経済的自由を守る気概と、いち早く経済活動を再開する勇気ではないだろうか。ケインズ経済学の呪縛にいつまでもとらわれてはいけない。
ちなみに生前のハイエクは、ケインズのことを「彼は経済学者ではなくジャーナリスト」と評した。経済学の学問的バックボーンを実はほとんど持っていないことに対する手厳しい批判である。「アダム・スミス以来の学問的積み重ねからみれば、ほとんど素人にすぎない」とみなされた人の"学説"に、人類が百年近く迷わされていることに対するハイエクからの「警告」であり、我々は謙虚に耳を傾けるべきだろう。
(竹内光風)
【関連書籍】
『トランプ経済革命』
スティーブン・ムーア、アーサー・B・ラッファー共著
藤井幹久 訳 幸福の科学出版
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