2013年4月号記事
シリーズ 富、無限 第4回
週給1ドル20セントで12歳から働き始め、65歳で引退した時には5億ドルもの資産を手にした鉄鋼王アンドリュー・カーネギー。慈善家としても知られ、約3000もの図書館や大学、奨学基金などを寄付し、その死に際して個人財産をほとんど残さなかった。アメリカン・ドリームの体現者の一人でもあるカーネギーの成功の秘訣に迫りたい。
(構成/村上俊樹、取材・文/居島有希)
カーネギーに学ぶ大富豪の条件──時間・人・金の使い方
アンドリュー・カーネギー
(1835─1919)
アメリカの鉄鋼産業の礎を築いた鉄鋼王。大慈善家としても知られる。
カーネギーの寄付のうち最も有名なニューヨークのカーネギー・ホール。上は1891年の建設当時の様子。下は現在の内部。
貧しい移民の子が、5億ドルの大富豪へと変身する──カーネギーの人生は、アメリカの典型的なサクセス・ストーリーである。
カーネギーの父は織物職人だった。イギリスで自動織機が普及し、手織物の価格が下がったため生活に困った一家は、仕事を求めて、スコットランドからアメリカに移住した。カーネギーが12歳の時のことだ。
家計を助けるため、カーネギーは週給1ドル20セントで紡績工場に勤め始め、電報配達、鉄道会社と転職し、その後独立して鉄鋼会社などの経営にあたった。
カーネギーは鉄鋼会社に最新の製鋼法を導入し、原料の購入から完成品を作るまでを一貫して取り扱う垂直統合を果たして生産効率を向上させた。その結果、カーネギー・スチールはアメリカの鉄鋼産業の50%を占めるまでに成長した。現在のUSスチールはこのカーネギー・スチールが元となっている。
1901年、銀行家のモルガン主導でカーネギー・スチールを吸収してUSスチールを作ったところ、その生産高はアメリカ全体の約7割にもなったという。
カーネギーはその直後に株を売って引退し、5億ドルもの巨富を手にした。
これほどの富を作ることができたのは、カーネギーに何か特殊な才能があったからだろうか。
その企業家人生をつぶさに調べていくと、 カーネギーは、時間、人、金の使い方において卓越していた ことが見えてくる。