2025年5月号記事

映画『ドラゴン・ハート─霊界探訪記─』を彷彿とさせる

芥川龍之介が描いた「神への愛」

神の御心に迫る「真の天才」は何を描いたのか。

2019年、大川隆法・幸福の科学総裁は映画『ドラゴン・ハート─霊界探訪記─』製作の参考として、芥川龍之介の霊言を収録した(*1)。そして、2021年発刊の『メシアの法』では、芥川龍之介が「シャンバラ」と行き来し、霊的覚醒を経験していることを明かした。

本誌ではそうした観点を踏まえて、2023年に「蜘蛛の糸」や「杜子春」などを取り上げ、理知的なインテリ作家という人物像とは違った芥川龍之介の素顔を紹介している(*2)。

霊的な視点からその作品を見ると、なぜ芥川が、聖人や偉人、悪魔、妖怪などを直接、見て知っているかのように書いているのかという謎が解けてくる。

今回は、未定稿も含めて作品を紹介し、知られざる天才の素顔を紹介してみたい。

(*1)映画『ドラゴン・ハート─霊界探訪記─』の製作参考霊言である「芥川龍之介の霊言『霊界談義』」(以下、注のない太字表記は同上)
(*2)本誌2023年3月号「芥川龍之介が見た『地獄』の真相」

芥川龍之介が描いた「神への愛」_1
芥川龍之介直筆の「河童」。

霊体験よりも真の人生を生きることが大事

芥川の作品の中には、さまざまな霊存在が描かれている。


河童と龍、死後の魂を描く

「河童」では、長野県の穂高山で主人公が河童に会い、追いかけるうちに河童の国に入ってゆく。霊言では、この作品を書いた頃のことを「河童なんか、もう本当に床の間から出たり入ったりしてました」と回想していた。

「龍」は平安時代の僧侶が奈良の猿沢池から龍が出るという噂を流していたら、本当に龍が出てきたという物語だ。

また、「馬の脚」では、北京在住の会社員が脳溢血で死に、謎の霊人に「あなたは三日前に死んだ」と知らされ困惑する。「両脚とも腿から腐っている」と告げられ、慌てて下半身を見直すと、まるで腿から下は空気を掴むようであった。これなども、映画『ドラゴン・ハート』の視点からはとても興味をそそられる


過去世では仙人修行も経験?

「杜子春」も霊的な作品だが、霊言では「私自身が『鉄冠子』(*3)かもしれない」とし、過去世で仙人修行もしていたと明かす。

興味深いのは、霊体験や仙人の境地を知りながらも、それ以上に、人が目指すべき道は、世を捨てる仙人思想とは別にあると訴えていたことだ。

「杜子春」では、人の心を捨ててこそ仙人になれるという思想を排し、主人公と父母の心に宿る慈悲に焦点を当てた。

「黄粱夢」でも、仙人に会った旅人が一時の夢で官吏の人生を体験し、この世は一炊の夢であり、仮の世にすぎないことを告げられる。中国の原作「枕中記」では主人公が仙人の主張を受け入れるが、「黄粱夢」の主人公は、この世が夢だからこそ「真に生きたと言えるほど生きたい」と訴える(*4)。この違いには、芥川の「悟り」がうかがえる。

(*3)鉄冠子は「杜子春」に出てくる仙人の名前。
(*4)『芥川龍之介全集第二巻』(岩波書店)

 

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あらゆる人を救う仏の慈悲を描き出す

芥川が視た磔刑前の悪魔の姿 パウロの回心