2021年6月号記事
Divine Economics
サプライサイド経済学の父 ラッファー博士
サッチャーとの出会い(前編)
Part 11
イギリスのマーガレット・サッチャー首相とも旧知の間柄であった博士に、サッチャー氏の思い出について語ってもらった。
(聞き手 長華子)
アーサー・B.ラッファー
1940年生まれ。イエール大学を卒業後、スタンフォード大学で博士号を取得。経済調査とコンサルティングのラッファー・アソシエーション会長。サプライサイド経済学の父。レーガノミクス、トランポノミクスを導いた。大統領選挙中よりトランプ氏の経済政策顧問を務める。著書に『増税が国を滅ぼす』(日経BP社)、『トランポノミクス』(幸福の科学出版)などがある。
──サッチャーさんにお会いした時の印象を教えていただけますか。
ラッファー博士(以下、ラ): 最初にサッチャーと出会ったのは1977年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの友人ブライアン・リーディングを通してです。私は若い頃イギリスに住み、南ハンプトンで働いていました。また最初の妻が、スコットランド北部のカウンシル地域の出身だったこともあり、イギリスの政治経済に通じていました。
リーディングがまだヒラの議員だったサッチャーに会わないかと言ってきたので、彼女のオフィスを訪問しました。最初の印象は決して良いものではありませんでした。彼女はどんな話題でもエキスパートなのですが、自説を曲げず、親分風を吹かせたがるタイプで、謙虚さもあまり感じられませんでした。
2度目に彼女にお会いしたのは、第一次サッチャー内閣成立前後だったと思います。その時はチャーミングで素敵な女性で、財務大臣のジェフリー・ハウにも引き合わせてくれました。
当時のイギリスの停滞度合いは今の日本とそっくりだったため、サッチャーは私の減税政策でイギリス経済を浮上させられるのではないかと検討を重ねていました。
マーガレット・サッチャー(略年表)
- 1925年
- 食糧雑貨商の家に誕生。父はメソジストの伝道師
- 1951年
- デニス・サッチャーと結婚
- 1959年
- 下院議員に初当選
- 1970年
- 教育科学相として初入閣
- 1975年
- 保守党の党首選で党首に
- 1979年
- 総選挙で保守党が勝利し首相に就任
第1次内閣発足 - 1982年
- フォークランド紛争勃発
- 1983年
- 第2次内閣発足
- 1984年
- 炭鉱労働組合との全面対決
- 1980年代
- サッチャー改革の成果が出始める
レーガン、ゴルバチョフとの関係を深める - 1987年
- 第3次内閣発足
- 1990年
- 辞任を決意
サッチャー政権の税制改革の問題点とは
増税は「勤勉な努力」を減らしてしまう
フォークランド諸島奪還で政治的な力量の高さを証明