集団的自衛権の行使を可能にする安保法制の審議が27日、参院で始まった。この法案をめぐり、自民党の磯崎陽輔首相補佐官が大分市で行った講演での発言が波紋を呼んでいる。

礒崎氏は講演で、「法的安定性は関係ない。わが国を守るために(集団的自衛権の行使が)必要かどうかが基準だ」と述べ、これに対して与野党から批判の声が噴出。自民党の谷垣禎一幹事長は、「そのような発言をしたとすれば、極めて配慮に欠けたことだ」と批判し、民主党の枝野幸男氏は「行政に関与する資格はない」と辞任を求める考えを示している。

発言の真意は「国を守るために何が必要かを考えないといけない」

磯崎氏は「発言はやや短縮して報道されている」と主張している。確かに実際の発言は、「我が国の自衛権は必要最小限度でなければならない。その憲法解釈は変えていない」「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない」というものであり、やや言葉足らずではあるが、きわめてまっとうなものだ。

マスコミは「法的安定性は関係ない」という発言だけを取り出して、「補佐官が憲法を軽視し、憲法などどうでもいいと考えている」という印象操作をしている。しかし、磯崎氏の真意は、「憲法を守ろうとするあまり、国を守るために何が必要かについて思考停止に陥ってはならない」ということだろう。

「法的安定性」の二つの意味

そもそも「法的安定性」という言葉には、二つの意味があるとされる。一つは「法自体が安定している」ということ。すなわち、時の政府の恣意的な判断や都合でルールをコロコロと変えてはならないということだ。

例えば選挙活動で禁止されていた行為が、次の選挙では行ってよいとされ、また次の選挙では禁止されるとなれば混乱を招き、場合によっては国民の自由が奪われる。

もう一つは「法による安定」ということ。すなわち、法によって秩序が守られ、社会生活が安定する、という意味である。

この二つの意味を冷静に考えれば分かるが、憲法や法律は国民の自由や安全を守り、幸福を実現するためにあるのであって、憲法や法律自体を金科玉条のごとく守ることに価値があるわけではない。

もちろん、国民の生命と自由が守られない方向にルールが変わっていくならば問題である。しかし、国を守り、国民の生命と自由を守るという目的のもとで、その時代に必要な形で法律やその解釈が変わることはむしろ大切なことだ。

人間がつくった憲法や法律を守ること自体が至上の価値だと考える人は、普遍的な価値や正義を見失っている。それを知るためには、最終的には人間心を超えたものに念いを馳せ、「神仏は何を望んでおられるか」を考える謙虚な姿勢が必要ではないだろうか。(佳)

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