神戸市の小1女児の遺体が遺棄された事件で、逮捕された君野康弘容疑者の奇妙な行動が報じられている。普段から酒に酔って、突然激高していたといい、知人らは口を揃えて「普段はおとなしいのに、酒が入ると180度人格が変わる」と話しているという。

被害者の女児の冥福を祈ると共に、同様の事件が繰り返されることは防がなければならない。そのためには、事件の「霊的な背景」に迫る必要がありそうだ。

29日付毎日新聞によると、逮捕される以前の19日、君野容疑者は友人宅を訪ねた際、すでに酒に酔った様子で、さらに飲み続けたというが、友人に対し、ふと「もう死ななければあかん」と漏らした。

また、君野容疑者は21日、その友人に連れられて神戸市内の教会の日曜礼拝を訪れた。教会の牧師が「神様に背いた罪や不義に対して、必ず裁きが訪れる」という趣旨の説教をすると、牧師に顔を向けられないほど落ち着かない様子で、「顔や手が震えていた」という。

「普段はおとなしいのに、酒が入ると180度人格が変わる」というのは、宗教的に見ると、不成仏の悪霊に体を乗っ取られ、自分をコントロールできなくなる「霊障」の状態であった可能性がある。アルコールによって理性が麻痺すると、悪霊の入り込む余地ができて、自分の発言や行動を覚えていないというケースはあり得る。

だが、憑依を受ける理由の一つに「波長同通の法則」がある。本人が日常的に誰かを憎んでいたり、殺したいと思ったり、満足のいかない境遇に不満を抱いたり、暗い気持ちを抱えていると、同じような意識を持った霊を引き寄せてしまうのだ。

本来、自分の思いや行いが正しいか否かを客観視して、「反省」する機会を持つことが望まれる。霊的な世界観や正しさの基準を理解しないで生きると、独善的な生き方になりがちだ。自分で自分の心をコントロールできなくなれば、常に悪霊の影響を受ける状況に陥り、最終的には破滅的な人生が待っているだろう。

特に、現代の日本人は霊を信じていない人が多く、「憑依」のメカニズムを知らない人も多い。もし、人に対する暴言が止まらなくなったり、人に危害を加えたいなどという衝動にかられた時には、「これは本当に自分の考えなのだろうか」「何かに翻弄されているのではないか」などと霊的な影響について考えて見るべきだろう。

ただ、そうした状況から踏みとどまるために、「正しさの基準」を持つことが欠かせない。これは結局、神仏の思いを知るということでもある。人々に間違った思いや行いを反省させ、善行を促すことは宗教の重要な役割だ。犯罪の抑止や更生における、宗教の公的な役割を改めて見直す必要があるだろう。(晴)

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