中世期には学問が発達し、西欧を上回る繁栄を誇ったイスラム社会。時代に合わない旧い戒律をイノベーションしないと、次の発展はない。写真:Olga Kolos / Shutterstock.com
2013年4月号記事
イスラム宗教改革、3つの道筋
中東・アラブでイスラム原理主義が存在感を強め、キリスト教世界との対立が深まっている。
イスラム過激派による1月のアルジェリア人質事件は、テロとの戦いが十字軍のように長期戦であることを示した。「アラブの春」で誕生したエジプトのイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」出身のモルシ大統領は、シャリーア(イスラム法)に基づく統治を目指している。
オバマ大統領が「イスラムとの和解」を呼びかけつつ、イラクやアフガニスタンからの米軍撤退を進めるのとは裏腹に、混乱は増している。
イスラムの前近代性とどうつき合う?
イスラム原理主義の台頭は、イスラムの前近代性、後進性とどうつき合うのかという問題を世界に突きつけている。
イスラム教は「平和と寛容を重んじる宗教」とも言われるが、開祖ムハンマドがアッラーから受けた啓示をまとめたコーランには、異教徒の殲滅を命じる箇所もある。「多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい」(第9章5節)などがそうで、その戦いのさなかに命を落としたら天国に入れるとも言う。
その部分を絶対視してテロに走る過激派はごく一部にしても、イスラム教徒の非寛容と戦闘性に世界が悩まされる現実がある。
テロ頻発の背景には、中東・アラブの支配層以外の貧困がある。イスラムの教えが社会の隅々まで入り込んでいるため、時代の変化に対応できず、停滞を生んでいる。
コーランやシャリーアを憲法や法律と位置づける国では、人権軽視が著しい。夫婦以外の性的関係は石打ちで死刑、性犯罪の被害に遭った女性の側が有罪、窃盗犯は手足の切断といった具合だ。それ以前にイスラム教からの改宗自体が死刑となり、人権中の人権の信教の自由がない。
イスラム改革を世界中が望んでいる状態だが、その道筋はおよそ3つが考えられる。
(1)日本のように敗戦後再出発する
戦争で負けると、宗教が国家と切り離されてきた歴史がある。キリスト教世界は30年戦争(1618~48年)など宗教戦争の経験を通して、政教分離を選択した。日本は戦後、アメリカが神道を国家から排除した。
イラクやアフガニスタンはこの十数年のアメリカとの戦争に負け、新しい国づくりを始めたが、イスラム国家の性格は揺らいでいない。将来のイランとイスラエル・アメリカとの戦争などがイスラム側の「敗北」となるのか。犠牲も大きいが、同時にイスラム社会のイノベーションの面もある。その際の再出発は戦後日本がモデルとなる。
(2)トルコのように強力な指導者が改革する
1922年のオスマン帝国解体後、今のトルコを建国したアタチュルク初代大統領は、イスラム教を国教とすることをやめ、シャリーアも廃止。議会民主主義などを導入し、近代化へと導いた。
アタチュルクの念頭にあったのは明治維新で、東洋で初めて近代国家を築き、強国ロシアを破った日本が目標だった。明治天皇を尊敬してやまず、机上にその御真影を飾っていたという。
アタチュルクが日本から学んだのは、国民が自助努力の下に勤勉に働けば豊かになれることだった。明治日本は今でもイスラム圏のモデルになり得る。
(3)キリスト教のような宗教改革者が出る
宗教には一定の耐用年数があるものだ。キリスト教の場合、教会が人々の生活を律し縛っていた14~15世紀、ウィクリフやフスらが「聖書回帰」を求める宗教改革に立ち上がった(注)。その火の手は16世紀以降のルター、カルヴァンらプロテスタントに引き継がれ、信教・言論の自由などの人権の尊重、近代民主主義・資本主義を生み出していった。
イスラム教の成立は600年代初め。1400年が経ち、イスラムの宗教改革が起きてこなければならない時代に入った。
上記(1)、(2)は国家からイスラム教を切り離す方向性だが、イスラム教自身が大変革し、近代的な国家と経済の足を引っ張らなくなれば、分離する必要はない。そのカギは、アッラーがどういう存在かを解き明かし、キリスト教プロテスタントをはるかに超える繁栄思想と未来性を持つ幸福の科学の思想をどう取り入れるかにある。
結局、イスラム社会の近代化は、三つのどの道筋を通っても、日本の考え方や行動原理、経済力、国際的なパワーを必要とする。イスラム改革は、実は日本の責任でもあることを自覚したい。
(綾織次郎)