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《本記事のポイント》

  • 自分を見つめるきっかけとなる不幸な出来事
  • 人生を変える「出会いの力」
  • 人間の立ち直りを待ち続ける「天なる父」

フランス、コンテチーズの故郷ジュラ地方。18歳のトトンヌは、仲間と酒を飲み、パーティに明け暮れ気ままに過ごしている。しかしチーズ職人だった父親が不慮の事故で亡くなり、7歳の妹の面倒を見ながら、生計を立てる方法を見つけなければならないことに……。

そんな時、チーズのコンテストで金メダルを獲得すれば3万ユーロの賞金が出ることを知り、コンテチーズ作りを決意する。

自堕落な生活と決別し、不器用な手つきで人生を切り開こうとする若者を鮮やかに描いた本作は、フランスのアカデミー賞と言われるセザール賞を受賞、同国で約100万人を動員するなど多くの人々の共感を得た。

自分を見つめるきっかけとなる不幸な出来事

この映画のテーマは、イソップ童話「アリとキリギリス」に出てくるキリギリスのように、遊びに明け暮れ、気ままに生きている人間が、果たして真人間として立ち直ることができるのかという問いかけだ。

映画は、3つの条件をつけながら、「イエス」と明快な答えを打ち出している。

1つ目の条件は、気ままな暮らしを断念させた、「父の死」という不幸な出来事の訪れである。

困窮に陥ったトトンヌは、知り合いの紹介で地元のチーズ工場に職を得る。朝4時から地元の牧場を回って牛乳を回収するものの、不器用な手付きで牛乳をこぼしてしまい、酪農家から叱責される。

しかも、まだ小学生の妹を学校に送るため、助手席に乗せ、車中で着替えをさせるなど、父親代わりを務めなくてはならない。

不幸な出来事に襲われることで、"何の役にも立たない人間"であるという厳しい現実を突きつけられ、気ままな暮らしは雲散していく。そこにあるのは、不幸な出来事に見舞われることで、否応なく「甘えた人間」であることを止めなくてはならなくなるという、人生の仕組みである。

人生の厳しい試練の意味について、大川隆法・幸福の科学総裁は著書『生命の法』の中で次のように指摘している。

人間は、この世で生きるとき、『悩みや苦しみ、挫折などを避けたい』と思うものです。

苦難に直面すると、たいていの人は、『どうして自分は悲惨な目に遭わなければいけないのか。もし、自分が、菩薩や如来、光の天使といわれる人間だったら、苦悩するような出来事に遭うはずはない。もっともっとハッピーに生きられるはずだ。しかし、こんなに悲惨な人生なのだから、自分は、よほど呪われているに違いない』などと思うものです。

ところが、あの世からは、これらは逆転して見えるのです。

あの世では、たくさんの試練を受けている人のことを、『ほう、ずいぶんとスリルの多い人生計画ですね。これだけ困難な問題に取り組めば、そうとう力がつくでしょう』と思って見ています。この世で厳しい試練を受けるような人生計画を立てる人は、あの世の霊人からは"魂のエリート"と見られるのです

人生を変える「出会いの力」

立ち直りの2つ目の条件として、この映画が示しているのは、前向きに生きるための人生目標の発見と、それを支えてくれる仲間やパートナーとの出会いである。

トトンヌは、勤め先のチーズ工場で、この地方名産であるコンテチーズのコンテストで金賞を取れば3万ユーロの賞金が出ることを知り、チーズ職人であった父親が残した道具を使って、チーズ作りにチャレンジする。

トトンヌの苦境を知るかつての遊び仲間が、車を売って金を工面してくれるなど、協力を申し出てくれる。

また牛乳回収で知り合った同年代の酪農家の若い女性マリー=リーズと親しくなり、彼女と恋仲になることでその牛乳をこっそりと盗むことにもなる。

ひとり牧場を営むマリー=リーズをトトンヌが、金の心配がないと羨むと、彼女は「その代わり朝5時から夜10時まで働き通し。バカンスもない」と応えるシーンはとても印象的だ。

まるでキリギリスが、たくさん食料を持ったアリを羨ましくがったところ、「夏の間、毎日毎日、せっせと集めて歩き回っていたんだよ」と説教されるところを彷彿とさせる。

ここには、十分な干し草の確保のため牛1頭当たり最低1.3ヘクタールの土地で放牧し、搾乳ロボットは使用せず、搾乳後24時間以内にチーズに加工して、専門の熟成庫でエピセア(もみの木)の棚の上で最低4カ月熟成させることで、世界的な知名度を持つに到ったコンテチーズの栄誉の一端を担っているという彼女の気概や誇りが垣間見える。

彼女に影響されて、トトンヌのチーズ作りは真剣味を帯び始める。

恋愛の持つ人間性向上の力について、大川隆法総裁は著書『青春の原点』(第2章 恋愛論)の中で次のように語っている。

一度、『天国的な恋愛か、地獄的な恋愛か』というフィルターを通して考える機会を持っていただきたいのです。

それは、簡単に言えば、恋愛をする本人にとって、『人格を高め、未来を開き、それを推し進める方向、そういう建設的な方向に進んでいるものか。それとも、自分を堕落・破滅させる方向に向いているものか』という判断です。

また、相手に関して言えば、『その恋愛が、相手の人格を高め、相手の未来がより幸福になっていく方向に向いているものか。それとも、相手を破滅させ、人生を挫折させる性質を持っているものか』ということです。

自分に関しても、『向上の道か、堕落の道か』という判断がありますが、恋愛の相手に関しても、『その人を、向上させ、幸福に導く性質を持っているものか、その人を破滅させる性質を持っているものか』という観点があるのです

人間の立ち直りを待ち続ける「天なる父」

何とかチーズの完成にこぎつけたトトンヌだが、最後に大きな壁が彼に立ちはだかる。完成させたチーズをコンテスト会場に持ち込むが、出品には認可を受けた事業者である必要があり、資格がないことが判明するのだ。

がっくりと肩を落としながら、壁のように積まれたコンテチーズの間をとぼとぼと歩く彼の姿について、ルイーズ・クルボワジエ監督は、「トトンヌは否応なく"大人になること"を迫られます。物語は数カ月にわたって展開しますが、それはコンテチーズの熟成期間と重なります。言ってみれば、トトンヌ自身の"熟成"の時間でもあるんです」(パンフレットより)と語る。

この映画を通して思い起こされるのは、キリスト教の最も有名な例え話と言われる「放蕩息子の帰還」である。新約聖書『ルカによる福音書』(15章11~32節)には、イエス・キリストが語った"神のあわれみ"に関するたとえ話として、放蕩息子が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語がある。たとえ自堕落な生活に溺れていたとしても、「天なる父」はその改心と立ち直りを待ち続けておられるというものだ。イソップ童話「アリとキリギリス」とは逆の結論の中に、「天なる父」の慈悲深さと、人間の成長を促す深遠な智慧が簡潔に語られている。

結局、『大人になる』とは、『人間としても成長していかねばならない』ということを意味しているわけです」(『大人になるということ』より)

勝手気ままな暮らしをしていた若者が、不幸に見舞われる中で、人々に温かく見守られながら、人間として成長するきっかけをつかんでいく姿を描いたこの映画は、人間に要請されている自助努力の大切さと「天なる父」の慈愛の深さとを改めて思い出させてくれるのではないだろうか。

 

『HOLY COW ホーリー・カウ』

【公開日】
全国公開中
【スタッフ】
監督:ルイーズ・クルボワジエ 製作:ミュリエル・メナールほか
【キャスト】
出演:クレマン・ファボー ルナ・ガレほか
【配給等】
配給:ALFAZBET
【その他】
204年製作 | 92分 | フランス

公式サイト https://alfazbetmovie.com/holycow/

【関連書籍】

いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版