2022年6月号記事

「富山の薬売り」を実践してみる!

配置薬というシステムを確立し、単なる商売を超えた絆を全国で築いた「富山の薬売り」。
その仕事には、今こそ学びたい"人の温もり"の実践論があった。

「富山の薬売り」と聞いて、昔を懐かしむ人は多いだろう。今も現役でお世話になっている、という人もいるかもしれない。

年に一度か二度、大きな荷物と共にやってきて、慣れた手つきで薬を入れ替え、家族と談笑し、子供に紙風船をくれて颯爽と去っていく──。一定以上の世代には、そんな姿が目に焼き付いている人も少なくないはずだ。

一軒一軒を廻ってさまざまな薬が入った薬箱(薬袋)を置かせてもらい、半年から一年後に再訪。客が使った分だけ代金をもらい、薬の入れ替えをする。この「先用後利」と呼ばれる販売システムを確立したとされるのが、富山の薬売りだ。

その始まりは1690年、富山藩二代目藩主・前田正甫公が、江戸城中で腹痛に苦しむ大名に自身の常備薬「返魂丹」を与えたところ、たちどころに治ったことから、居合わせた各藩の大名たちが、自領にも行商してほしいと願ったという説が有力だ。

藩を出て商売をするのが容易ではなかった時代、富山の薬売りは一部の藩への行き来が許される。当初は細々と廻商していたが、富山藩には大雨や台風、豪雪や大火事などによる飢饉が頻発。五代藩主の前田利幸は、民を救い、財政難を立て直すためにと、製薬と行商に力を入れた。付随して、薬種商や包装、お土産の紙風船のための和紙業者など、さまざまな業種も発展。藩の建て直しに大きく貢献した。

各藩の大名からの要請がその始まりとはいえ、富山の薬売りという一介の地域産業は、なぜ全国に市場を確保できたのか。次のような理由が考えられる。

参考書籍:遠藤和子著『富山の薬売り』『富山のセールスマンシップ』(サイマル出版会)、富山市発行『富山の置き薬』上・中・下(かまくら春秋社)、森田裕一著『富の山の人 仕事の哲学』(経済界)、玉川信明著『反魂丹の文化史──越中富山の薬売り』(社会評論社)ほか