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《本記事のポイント》
- LGBTへの立場を巡って米大手プロテスタント教団が分裂へ
- 「性の自由」をどこまで認めるかでキリスト教界が揺れている
- 人間の本質は魂であり、自分が今生きている性別には魂を磨く意味がある
「LGBT(セクシャルマイノリティ)」についての立場を巡り、米キリスト教界が揺れている。
プロテスタント主流派の「合同メソジスト教会(UMC)」は、同性婚およびLGBTの聖職者の容認を巡って、教団が分裂する見通しだという。教会指導者らが3日に公表した(米ワシントン・タイムズ紙4日付電子版)。
同教会は、「南部バプテスト連盟(SBC)」に次いでアメリカで二番目に大きなプロテスタント主流派。同性婚やLGBTの聖職者を容認するか否かについて、ここ数年に渡って激しい議論を重ねてきた。
2019年2月には、アフリカなどを含め全世界から864人もの代議員を招集し、UMC特別総会が開催された。そこで教団の立場を定める投票が行われ、同性婚やLGBTの聖職者を容認しない「伝統的な案(Traditional Plan)」が賛成多数で可決。「同性愛はキリスト教の教えと相容れない」という保守的なスタンスを貫くことになった。
一方で、賛成438票に対して反対384票と意見は大きく分裂したまま。LGBT容認派の牧師や教会の多くが、教団脱退の意向を示している。
相対する立場の違いを受け、教団内の保守派とリベラル派の両者が、今年5月に開かれる総会で「分裂」に投票することで合意。各地教会の意思で教団から脱退できるよう調整するという。
かつて聖書の解釈の違いで宗派が分かれたように、LGBTに対する立場を巡ってキリスト教界が分裂しつつあるようだ。
イエス・キリストを同性愛者に描く映画
「性の自由」をどこまで許容するかは、非常に難しい問題だ。セクシャルマイノリティが差別を受けるような事態になってはならないが、自由度が高くなり過ぎると、節度や貞節など宗教に基づく倫理観そのものが崩壊しかねない。
19年12月には、イエス・キリストを同性愛者として描いた短編映画「最初の誘惑」(原題:The First Temptation of Christ)が、米動画配信大手ネットフリックスで公開された。
製作したのは、ブラジルの人気コメディーグループ「ボルタ・ドス・フンドス」。イエスが自身の性別や救世主としての役割に疑問を抱き、同性愛者の愛人を両親に紹介する場面が描かれるほか、「東方の三賢人」が売春婦連れでイエスの実家を訪問するシーンもあるという。
当然、キリスト教会や信者から激しい批判を受けており、ネットフリックスに対しては配信停止を求める署名が235万以上も集まっている。
人生の「目的」に立ち返る
LGBTを考えるには、人間が何のために生まれてくるのかという「原点」に返る必要がある。
人間の本質は肉体ではなく神に創られた魂だ。その魂を磨くため、何度も地上に生まれてはさまざまな経験を重ねている。そうした転生輪廻の過程で、男性として生まれることもあれば、女性として生まれることもある。どちらの性で生まれるかというのも「人生計画」の一つであり、自分の魂経験に必要な環境を各人が自分で決めて生まれてきている。
つまり、自分が今生きている性別には、魂を磨くための意味があるということだ。
例えば、男性の転生が多かった魂が女性として生まれれば、違和感を覚えることもあるだろう。だが、実は自分自身が「女性として生きることで、慈愛や調和の心を身に着けたい」と決意して選んだ結果かもしれない。
だからこそ、持って生まれた性を受け入れ、与えられた人生を最大限に輝かすことが、自身の魂の向上につながる。
LGBTが差別されてはいけないが、マイノリティを守ろうとするあまり、かえって多くの魂の成長を阻害するような論調にも気を付ける必要がある。
(片岡眞有子)
【関連書籍】
大川隆法著 幸福の科学出版
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