宗教関係者が原発を語る書籍が相次いで出版されている。
今月発刊された『原子力と宗教――日本人への問い』(角川学芸出版)では、玄侑宗久氏(臨済宗僧侶)と鎌田東二氏(宗教学者)が対談。「反原発」が大きなテーマだが、特に、玄侑氏は、全原発の即時停止を求めていて急進的である。2月には、宗教者や宗教学者の論文や評論を掲載する『宗教と現代がわかる2012』(渡邊直樹責任編集、平凡社)が発刊されており、そこでも多くの論者が反原発論を展開している。
宗教に関する情報を分析・整理している「宗教情報センター」のレポート(1月30日)によると、キリスト教系であれ仏教系であれ、見解を公表している団体に関しては、やはり反原発を表明しているところがほとんど。はっきりと原発は必要と訴えているのは、幸福の科学ぐらいだ。
日本の宗教団体の間で反原発のムードが強いのは、そうした団体がこれまで行ってきた社会活動と関係がある。戦後、宗教界は長らく反戦平和活動に関わってきた。しかし、1950年代、国内の反戦運動に原水爆禁止運動が合流して一体化したため、宗教界もその影響を受け、原子力利用について否定的なスタンスを取るようになったと思われる。1958年の「原水爆禁止宗教者懇話会」発足以来、その流れは連綿と続いている。
しかし、彼らの議論の内容となると、多分に感情的なものでしかない。
宗教関係者による反原発論を読んでいて気になるのは、「原発推進は経済至上主義を人命より優先するもの」「経済が衰退しても何も困らない」というアンチ経済の傾向が非常に強いことだ。しかし、経済苦による自殺者が毎年数千人にも上る現状を見れば、経済と人間の命とを切り離して考えることはできない。自殺しないまでも、不況によって破産や一家離散などの不幸が増えることは、考えてみれば分かる。
福島第一原発の事故による放射能で死んだ人は一人もいないが、不況で死んでゆく人は数え切れない。真の宗教者なら、国が経済的に没落してゆくのを肯定することはできないはずだ。とにかく、宗教関係者の意見には、経済の縮小、科学技術への不信、原始生活への憧れのようなものが非常に強い。もし宗教界が"貧乏神"に憑依されているとしたら、笑うに笑えない。(只)
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