文部科学省が解散命令を請求した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について、東京地裁が25日、宗教法人法に基づき解散命令の決定を出した。しかし「民法上の不法行為」を理由とした今回の決定は、憲法が保障する「信教の自由」の侵害に当たり、事実上の宗教弾圧と言わざるを得ない。
宗教法人法では「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」があった場合、解散を命じることができると定めている。ただ過去に解散命令を受けたオウム真理教や明覚寺とは異なり、旧統一教会では教団幹部が刑事事件を起こしたわけではない。そのため政府は、「寄付勧誘に関する民法上の不法行為が解散要件に当たる」と主張した。
確かに旧統一教会は、その教義や、騙しのテクニックで布教するやり方に問題があり、幸福の科学はかねてより「邪教」であると判断してきたが、「民法上の不法行為」を理由とした解散命令には反対である。
「個人の犯罪」を宗教界全体の法規制にすり替えたのが根本問題
そもそも、問題の発端となった安倍元首相の銃撃事件は、あくまで「一個人が私怨で起こした殺人事件」であり、それをすべて「宗教の問題」に政治やマスコミがすり替えていったことが問題である。
オウム事件のような宗教側の重大な「刑法上の組織犯罪」ではないにもかかわらず、宗教界全体への法規制へと持っていった政府の対応は、「信教の自由」の侵害を禁じる「政教分離原則」に反し、これを機に「民法上の不法行為」として適用される範囲が不当に拡大される恐れがある。その奥には、マスコミの宗教に対する偏見や、政治利用したい政権側の思惑が見てとれ、政府が宗教団体を恣意的に弾圧できるようになる恐れもある。
また、旧統一教会の問題を受けて、寄付への規制も強まった。しかし、宗教における寄付(お布施)は本来、神仏に対する感謝を示す尊い宗教行為であり、「修行」である(消費者契約では断じてない)。歴史的にも、田畑や家などを寄付して教会を建てる例は数多くあり、何をいくら布施するかは本人の自由であるべきものだ。個人の財産の扱いについて規制することは、本人の純粋な信仰心の発露を妨げる恐れがあり、憲法の保障する「財産権の侵害」に当たる可能性があると知るべきである。
宗教の正邪は「マスコミ的統計」では判定できない
今回の問題をことさら煽ったマスコミも、一邪教の問題によって宗教全般を悪とみなすかのような報道姿勢を慎み、宗教の正邪に関する見識を持ち、正しい宗教が行っている「人助け」や「魂の救済活動」、「悪を押しとどめ、善を推し進める」といった公益性の高い活動についても、公平に報道すべきである。
もとより宗教の正邪は、政府などではなく、宗教が判定すべきものであり、いわんや、世論調査の多数決で決まる類のものではない。大川隆法・幸福の科学総裁は著書『真実を貫く』で、以下のように指摘している(関連書籍参照)。
「宗教の正邪や『これこそが本道だ』という問いに対する答えは、世論調査のようなもので出るものではない。(中略)『言論の自由』とか『出版の自由』とかが許されている理由、『信教の自由』が許されている理由も『学問の自由』が許されている理由も、『同じく自由な土俵で戦わせれば、必ずや正しいものが広がって、間違ったものが駆逐されていくであろう』ということです。そういう性善説で日本の憲法も出来上がっているし、世界的にも『西側』といわれる価値観はそういうふうになっているのだと思うのです。(中略)マスコミ的統計によって正邪を決めるのではなくて、宗教のなかにある者が考え方を出し合って、『これが正しいと思うか思わないか』を、多くの人に判断をしていただく必要があると思います」
人々に愛を広め、信じる者の人格を高め、地球的平和をもたらす宗教は素晴らしいものだ。今回の解散命令により、宗教に対する社会的偏見が助長され、「過度の勧誘」などという言い方で、「信教の自由」が脅かされるようなことはあってはならない。日本を中国のような唯物論・無神論国家に向かわせてはならないのである。
【関連書籍】
いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版
【関連サイト】
幸福実現党 党声明 旧統一教会への解散命令は「信教の自由」の侵害である
https://info.hr-party.jp/press-release/2025/14939/
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