2024年6月号記事
福祉 バラマキ 学校
優しすぎる社会の危うさ
人に優しい社会・政治は、人類の理想でもあっただろう。
しかしそれも行き過ぎれば、結局は人々を不幸にしてしまう。
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉の意味を、今一度考えたい。
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福祉 バラマキ 学校── 優しすぎる社会の危うさ - Part 2 "優しい学校"が自立できない子供を量産している
"優しい学校"が自立できない子供を量産している
優しすぎる教育は子供にどんな影響を与えるのか。
今、教育現場では不登校生徒の多さが問題になっている。公立中学教師の辻本清さん(仮名)は「面談すると一日中ゲームをして過ごしている子供も結構いるのです。親がずっと生活を支えてくれると思うので、『将来職業に就いて自立しなければいけない』という意識も希薄です」と語る。
将来の夢は"生活保護"
なかでも「生活保護を受けている家庭の子供は、親の姿を見て『仕事をしなくても生活できる』ことを学んでいるところがあります」。こう嘆くのは同じく公立中学教師の沢香織さん(仮名)。「そうした家に訪問しても、生活保護家庭なのに親の趣味のフィギュア(人形)などが並んでいることもあります。だから、『生活保護を貰うから勉強しなくていい』などと担任の先生に言う子供もいます」。卒業文集の将来の夢に「生活保護を受けて楽に暮らしたい」と書く小学生さえいる(*)。
前出の辻本さんはこうも語る。「今、学校に来ていなくても進級できる制度になっています。だから生徒も『学校に行こう』という動機が昔よりも少なくなっています。親も進級できることが分かっているので、『面談が必要です』と言っても学校に来ません。電話も出ず、家庭訪問しても居留守を使われることもあり、生徒を復帰させようという指導ができないこともあるのです」。
もっとも不登校生徒が増えている背景には、いじめや子供に愛情を注げない親の存在など、千差万別な問題があり、対応が難しい現実もあるという。また学校も「その後の人間関係をつくれなくなるだろう」という配慮のもと、学校に来ていなくても進級を認めざるを得ないという現実もある。
しかしそうしたことも行き過ぎれば、本人のためにならないのではないか。彼らもいずれ社会に出る。人間関係などに苦労しながらも、上手に相手と接することを覚えて、居場所をつくる、ということを少しでもできるようにしてあげないと、結局苦労するのは子供たちだ。「子供が自立できるようにすることが教育の使命」と考えると、進級したいなら、例えば、月10日以上は学校に登校して別室で勉強する、勉強が苦手なら奉仕活動をして世の中に貢献することを学んでから進級するくらいの制度にしないといけない、という識者の意見もある。
(*)2010年2月3日付読売新聞
寄り添うだけが優しさではない
Interview 02 頑張らない人が得をする社会でいいのか / 教育評論家 森口 朗