人物伝 大谷翔平 アナザーストーリー(前編) 「彼のなかに、『全力を尽くさない野球』はない」 その姿に周囲の人々が協力したくなる

2024.11.18

画像: Conor P. Fitzgerald / Shutterstock.com

移籍1年目のドジャースで、ワールドシリーズ制覇を成し遂げた大谷翔平選手。

右ひじの手術により、今季は二刀流を封印。故障者リスト入りしてもおかしくないような状況の中、右ひじにサポーターを付けながら、守備にはつかないDH(指名打者)として出場し、レギュラーシーズンでは、54本塁打、59盗塁の大暴れ。全米、そして、日本中が熱狂した。

本誌12月号記事「大谷翔平とイチロー 日本発の『天才』の比較」では、「超一流選手は、努力の天才」である、という観点から、その活躍の原動力である精神性に注目した。

本欄では、投打の「二刀流」という前代未聞の挑戦を続ける大谷が、自身の希望・目標を実現し続けてきた過程を追い、そこから人生を切り拓くヒントを探る(全2回のうち、今回は前編)。

「彼のなかに『全力を尽くさない野球』はない」

大谷は、ワールドシリーズ第2戦、盗塁の際に左肩を亜脱臼した(シリーズ終了後、手術し、成功)。その後の試合に出場せず、休んだとしても誰も責められない、そんな状況だったが、移動日をはさんだ翌々日の第3戦に「1番・指名打者」で出場し、観客を沸かせた。

左肩をかばう中でのプレーで異なる箇所を怪我する恐れもあったが、大谷は最後の第5戦まで出場し、「全力疾走」を続けたのだった。

こうした姿勢は、以前からのものであった。岩手県の花巻東高校時代の恩師・佐々木洋監督(当時)は、日本のプロ野球で戦い始めた頃の大谷の姿を、こう回想している。

「チームが大差をつけられて負けている状況での終盤に、大谷は打ってファーストへヘッドスライディングをした試合がありました。競っている試合であれば、思わずそんなプレイも出るかもしれませんが、大差で負けているなかでも最後まで諦めずに全力でプレイする」(怪我を恐れて)「思わずテレビの映像を見て『バカヤロウ』という気持ちになったんですが、それが大谷なんですよね」(佐々木亨著『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』)

日本ハムファイターズで大谷を見守ってきた栗山英樹監督(当時)も、その「全力疾走」に、同じような感情を抱いていたようだ。

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タグ: アナザーストーリー  二刀流  天才  大谷翔平  全力  ワールドシリーズ  努力 

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