2014年7月号記事

この“独裁者"は天使か? 悪魔か?

プーチンの正義

content

Part 0

プーチン大統領物語 知られざる素顔…… 本誌P23

Part 1

ロシアのクリミア編入は「防衛」が目的…… 本誌P26

Part 2

プーチンはヒトラーの再来ではない…… 本誌P28

interview ロシア国民はプーチンのような強い指導者を求める 国際関係アナリスト 北野幸伯

interview プーチン大統領はロシア人を守るために行動した 前・在大阪ロシア連邦総領事 イワン・プロホロフ

Part 3

ロシア人の9割が「日露関係は重要」と考えている…… 本誌P33

COLUMN 「日露協商」の締結を 幸福実現党北海道本部副代表 森山佳則

日露をつなぐ国際鉄道の実現を 一般社団法人シベリア鉄道国際化委員会会長 山口英一

interview 日露の友好関係は文化交流から ロシア科学アカデミー東洋学研究所客員研究員 田中健之

Part 4

プーチンは世界の混乱期の秩序維持を考えている…… 本誌P38

interview 欧米諸国はプーチンの世界戦略を誤解している ジャーナリスト 石郷岡建

ロシア・プーチン大統領がウクライナ南部のクリミア半島をロシアに編入したことに対して、欧米諸国からは「プーチンは悪魔だ」「冷戦を復活させようとしている」と批判が集まっている。しかし、ロシア国内でのプーチン氏の支持率は高く、クリミア編入を宣言した直後には82.3%に達した。独裁者とも批判されるプーチン氏は、天使なのか、それとも悪魔なのか――。

(編集部 大塚紘子、河本晴恵、山本慧)


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Part 0

プーチン大統領物語――知られざる素顔

1999年、それまでまったく無名だったプーチン氏は、エリツィン大統領から後継指名を受け、一躍、政治の舞台に躍り出た。その半生は、「ロシア版・アメリカンドリーム」とでも言うべき物語だ。プーチン大統領誕生までの軌跡と、その素顔が垣間見えるエピソードを紹介する。

プーチンの半生はロシア版・アメリカンドリーム

1.少年時代。

2.KGBの制服を着た姿。

3.1985年、KGBの任務で東ドイツに出発する前に。左は父ウラジーミル・スピリドノヴィチ、中央は母マリア・イヴァーノヴナ。

ウラジーミル・プーチン氏は、1952年、レニングラード(注1)に生まれた。3家族共同のアパートに住み、風呂もなく湯も出ない貧しい暮らしだったという。小学校時代は、教師に逆らい、アパートの中庭で喧嘩に明け暮れる問題児の1人だった。しかし10歳のとき、格闘技と出会い、その後、スパイ小説や映画の影響を受けて、将来は秘密警察KGBに入りたいという夢を描く。

後にスパイに憧れた理由についてプーチン氏は、「驚いたのは、全軍をもってしても不可能なことが、たった一人の活躍によって成し遂げられることだ」と語っている。

16歳のとき、KGBの支部を訪れ、「KGBで働くには何をすればいいか」と尋ねた。応対した職員は、体育会系が望ましく、大学は法学部が有利で、KGBに入りたいことを誰にも言わないことなどの助言を与える。プーチン氏はその通りにした。猛勉強してレニングラード大学法学部に進学し、柔道に励んだ。大学4年生のとき、KGBからの誘いを受け、晴れてスパイの道に入る。

KGBを辞め政治家の道へ

89年、東ドイツで諜報活動に携わっていたプーチン氏は、当時のゴルバチョフ共産党書記長の同国訪問後、大規模な民主化デモに遭遇する。このときプーチン氏はモスクワに情報を送り続けたが、返答や指令は一切なく、不信感を強め、KGBを辞めることを決めた。

大学に戻り、大学時代の恩師で、サンクトペテルブルク市長をしていたサプチャク氏に再会した縁で、政治家としての道を歩むことになる。その後、サプチャク市長は様々な嫌疑をかけられ、失脚するが、副市長だったプーチン氏は市長をかばい続けた。その後、新市長陣営からの慰留を断った。

数カ月後、知人の紹介で大統領府に職を得ると、トントン拍子で出世する。大統領府第一副長官など、次々と要職をこなしていたプーチン氏を、当時のエリツィン大統領は首相に指名。思わぬ形で政権の中枢入りを果たす。エリツィン氏の体調が悪化した99年に大統領代行に指名され、翌年の大統領選に勝利。プーチン大統領が誕生した。

(注1)後のサンクトペテルブルク。ロシア西部に位置する。