《本記事のポイント》

  • マネタリズムとサプライサイドが両輪でインフレを退治した
  • ケインジアンとマネタリストが同じ穴の貉(むじな)であるワケ
  • 「生き方革命」だったレーガンの経済政策

前編では、日本で正当に評価されていないレーガノミクスの偉業を紹介した。圧倒的な経済成長からソ連を"倒産"に追い込んだレーガノミクスは、既存の経済学者にとってなぜ理解しがたいものと映るのか。

また連邦準備制度理事会(FRB)による年内の量的緩和の縮小の開始が示唆される中で、あたかも"無限緩和"に陥っている金融緩和政策の問題も露呈しつつある。後編では、そうした金融政策の問題にも触れつつ、レーガノミクスが正しく理解されない理由を読み解いていく。

マネタリズムとサプライサイドが両輪でインフレを退治

1970年代のアメリカは高インフレと高い失業率からスタグフレーションに陥っていた。

その問題に対処するために、カーター大統領が任命したFRBのポール・ボルカー議長の金融引き締め策によってインフレは終息したという"修正史観"が広がっている。

この史観は昨今の金融政策万能神話を生むのに寄与しているが、実際は金融政策とともに、減税によって財やサービスの供給が拡大したことも、インフレ退治に奏功した。この二つの組み合わせがなければ、物価は下がらなかっただろう。

サプライサイド(供給サイド)経済学の祖で、レーガン大統領の経済顧問だったラッファー博士がしばしば述べている通り、「リンゴをたくさん作ると値段は下がる」のだ。

現代のアメリカで起きているインフレについても、メインストリームメディアは「金融政策で終息させられる」と、金融面にのみ着目して報じることが多い。しかし、「供給」なくして物価が下がることはない。

しかも、中央銀行に金融政策の裁量の余地が増えたブレトンウッズ後のほうが、その前の期間よりもインフレ率は高くなっている。一般に信じられているのとは異なり、FRBは貨幣供給を、責任をもってコントロールしてきたとは言い難い。

一方日本でも、ゼロ金利やマイナス金利を導入し、景気の浮上を目指したが、デフレを脱却し経済を浮上させることもできなかった。このことも金融政策の偏重の問題を物語っている。

ケインジアンとマネタリストが同じ穴の貉(むじな)であるワケ

なぜこのようなことが起きるのか。

マネタリズムも、中央銀行が貨幣の供給量を操作すれば景気を刺激しGDPを成長させられると考える点で、ケインジアンのデマンドサイド(需要サイド)と同じ土俵に上がっている。両者とも、国民を「集合的」「量的」に捉え、個々人を尊重する姿勢が欠けているのだ。

経済学の根っこに功利主義の哲学が存在することも、その一つの理由となっている。

唯物論者である哲学者のホッブスの思想の上に自身の哲学を築いたベンサムの功利主義は、経済学において「経済人」という概念を可能とさせた。

この問題はまた別の機会に詳しく論じることとするが、ベンサムの功利主義は、人間に個性や質的な差異を認めず、個人をあたかも原子のように扱う。

しかしドラッカーが著書『経済人の終わり』で述べている通り、唯物的ではない一人ひとりの人間の意志は「本来計算不能」である。

それにもかかわらず、国家により量的に操作できると考えられるようになったため、個々人の違いが経済学で考慮されなくなった。

心は分析対象外で、人格の成長をもたらさない唯物的経済学の問題

それによって経済学が失ったものは大きい。

例えば、ラッファー博士のサプライサイド経済学は、唯物的でも量的でもない、個々人のインセンティブ(やる気)をいかに高めるかが理論の主軸にあり、その点で各人の「心」を重視する。

既存の経済学では、「やる気」や「自発性」などは分析対象にはならない上、自助努力で得られる「自尊心」といった「人格の成長」や「人間の徳」は計りようがないから考察外である。

例えば、ポール・クルーグマン氏などのケインジアンらは、人はインセンティブにかかわりなく機械のように働いて生産すると考える。また企業家精神を発揮して大企業をつくる「個人」は、統計上平均値の枠外にあり、多くの雇用を生み出す彼らの役割やその重要性は、見失われがちとなる。

むしろそうした事柄を分析の外に置くことで初めて、主流派の経済学は成立している。それは「人間は考察対象ではありません」と言っているのと同じで、それほどまでに既存の経済学が「唯物的」になっているのだ。

だが「心」や「精神」は、物より上位にある概念である。

人間が一人ひとり異なり、「心」や「精神」を持った尊い存在だと認めることができないので、「やる気」や「自尊心」などといったこれまでにない「変数」を持ち出すサプライサイド学派を一蹴する。だがそんな経済学は、機械論的な世界観を持ったマルクス主義の延長線上にあるという誹(そし)りを免れることはできないのではないか。

「生き方革命」だったレーガンの経済政策

一方で、レーガンが国を富ませるために、サプライサイドに依拠することができたのはなぜか。

一つには、自営業だった父親の影響からブルー・ワーカーの人々の気持ちを理解できたことが大きいだろう。同時に経済面においても、人格や魂を磨くことができる自助努力型の社会をつくることの尊さを理解していたこともあるだろう。サッチャー英首相(当時)と共に、レーガノミクスは「生き方革命」をもたらした側面があったことを見落としてはならない。

もう一つは、旧ソ連で人間が機械やロボットのように扱われる共産主義体制の戦慄すべき現実を目の当たりにしたこともあるだろう。冷戦時、自由や民主といった価値の優位を掲げて戦ったレーガンにとって、心や精神が物より上位にあることは、何ら疑問の余地はなかったはずだ。

しかもケインジアン重鎮のポール・サミュエルソンは、明確に親ソ感情を表明していた。そんなケインジアンに、レーガンは国の命運を預ける気にはなれなかったはずだ。

現代においてもなお、唯物的な経済学派が主流派を占めている。それは創造主から生命、自由、幸福の追求という不可侵の自然権を個々人に与えられたと謳うアメリカ独立宣言の思想的な高みに達していないものである。国是から見て、"異端"で非民主的な経済学が、民主主義の旗手を自任するアメリカのみならず、西側諸国を覆っている。

現在の主流派の経済学は、低い成長率をもたらしているのみならず、人格の陶冶よりも、政府に依存心を抱く国民を生み出してしまっている。倫理的ではない結論をもたらす経済学は、経済学と言えるのか。

人間の精神を優位に置くことができ、倫理的にも正しく生きることを促す経済学を正しく評価したとき、レーガン革命の真の意味が理解される日が来るに違いない。

(長華子)

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