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《本記事のポイント》

  • 京都大学と学生の間で続く「立て看板」抗争
  • 「危険につながる政治活動」と「戦争に近い反戦デモ」
  • 「目的が"正し"ければ手段は問わない」という思想

京都大学の吉田キャンパス周辺の立て看板をめぐり、大学側と学生らとの間の攻防が続いている。

京大の立て看板と言えば、同キャンパスを訪れるとまず目に入ってくる掲示物だ。大きなベニヤ板にいわゆる「ゲバ文字」で、左派的な政治主張が書かれていたりもする。同学を初めて訪れる人にとって、これが「大学の第一印象」となる。

そうした看板について、京都市が「景観保護を目的とした条令に違反する」として大学側を指導した。それを受けて大学側は昨年、「立て看板規程」を発表する。

これに一部学生らが激しく抵抗した。大学職員が、看板に「撤去通知書」を貼る際には、抗議する学生と揉み合いになる場面もあった。

大学側は13日、すべての看板を撤去した。しかし14日深夜、何者かがフェンスを壊して撤去看板の保管場所に侵入し、看板を持ち去った。京都府警は器物損壊容疑で捜査している。その後、キャンパス周辺に、それらの看板が再び設置されていた。大学側は18日、改めて撤去した。

まさに「いたちごっこ」となっている。

看板撤去反対を主導するのは、いわゆる左派的政治活動を行う「中核派」と言われる学生たちだ。同団体は、「立て看板規程粉砕」などと銘打った集会やデモを開催している。

しかし、違法に違法を重ねるやり方に、どれだけ賛同が得られるかは不明だ。

「違和感」を超え「危険」な政治活動

記者も同大を卒業したが、同級生の間でも、同学内で展開される左派的活動に違和感を持つ人は多かった。

例えば、毎日の昼休みに、キャンパスの広場で「労働者を守れ」と演説している学生は、よく聞けば留年を重ねた"8年生"だったりする。4年生までならまだしも、それより年月を重ねたなら、「まず『労働者』になってから言ってほしい」というのが自然な感想だろう。

また同学には、「吉田寮」という学生寮がある。そこは事実上、中核派の拠点となっており、場所によっては壁一面に政治主張が書かれている。記者が訪れた際も、普段演説をしている学生が、拡声器を枕に昼寝をしていた。

問題は、その学生寮が築100年とかなり老朽化していること。歩く度にミシミシと音がし、床が抜けたりもしている。大学側は「旧棟は大地震のときに倒壊か大破する恐れがあり、極めて危険」として、建て替える方針を出していた。しかし学生たちは「学生自治を守る」などとして、猛反発。この件でも、同じくデモや集会を行っている。

しかし記者が訪れた際、食堂の壁に「建物が倒壊するので、壁に荷物を立て掛けないでください」といった貼り紙がされているなど、もう"限界"であることは明らかだった。

このように、同学の左派活動は、「違和感」を感じさせるレベルを超えて、違法か、違法すれすれの「危険」な領域にきていると言える。

「危険」と言えば、今年3月、大学に接する交差点の真ん中に、若者数人がこたつを囲んで鍋をつつくという行為をして問題になった。警察官が「重大事故につながる」として注意した後、若者らはこたつを持って京大内に入っていった。ヘルメットや拡声器を持っていたことから、「また中核派のパフォーマンスか」と言われている。

また2015年には安保法案に反対する学生らが、校舎の一つをバリケードで封鎖し、他の学生や教職員が入れなくなる騒動があった。このバリケードは、警察や職員ではなく、「他人に迷惑だ」と憤った一般学生たちによって、"強制撤去"された。

「反戦」や「平和」を謳う団体が、どういうわけか、危険・好戦的な行動で注目を集めている。

この国で最も戦争に近い、反戦デモ

同様の矛盾は、2015年に国会前で行われた安保法案反対デモでも見られた。

記者は取材のため、現場に行き群衆の中に入ったが、道は血走った目で叫ぶ人たちで溢れ、通行が難しい状態になっていた。デモとは関係なく通行しようとしている車や歩行者もいるため、警察官が汗だくで「ここから先に出ないでください」と交通整理をしても、そこにタックルをするデモ参加者もいた。

デモでは「戦争反対」と連呼されていたが、その風景こそ、記者が人生で見た光景の中で最も戦争に近いものだった。実際にデモでは、機動隊に対する暴力行為で逮捕された人も多数出ている。

国会前デモと言えば、いわゆる「60年安保闘争」では死者さえ出ている。

「目的が"正し"ければ手段は問わない」という思想

こうした「違法・危険行為」を厭わずに、政治的主張を通そうとする発想の原点には、マルクス主義の「暴力革命」があると指摘されている。「目的が正しいなら、手段は何でもいい」という考え方だ。

かくして、「平和」を叫ぶために、「暴力」が生まれるといった矛盾が生まれる。

中国や北朝鮮のような独裁体制であれば、自由で民主的な社会を築く手段はそれしかないかもしれない。しかし、ある程度、「言論の自由」「民主主義制度」のある日本のような国であれば、社会変革は言論と説得で行うのが筋ではないだろうか。

(馬場光太郎)

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2015年10月29日付本欄 SEALDsと共産党議員が安保法案賛成派学生との討論から逃亡 反対派の「民主主義」って何だ?

https://the-liberty.com/article/10400/

2016年12月27日付本欄 左翼運動から転向した記者のモノローグ・前編【思考回路が分からない・特別編】

(前編) https://the-liberty.com/article/12399/

(後編) https://the-liberty.com/article/12722/