2018年5月号記事

人口が減っても客は増える

シャッター街、赤字企業の V字回復 物語

人口減少による衰退を乗り越え、奇跡の復活を成し遂げた、地方のお店や商店街の物語に迫る。

不況・業界不振・ジリ貧にあえぐ、あらゆるビジネスパーソンのヒントにもなるはずだ。

(編集部 小川佳世子、馬場光太郎、片岡眞有子)


contents


山口

倒産寸前から120億企業へ

造り手の常識を捨て
世界を酔わせる酒が生まれた

山口県の小さな酒蔵「旭酒造」が世界的ブランド「獺祭」を生み出し、120億企業へと成長するまでの奇跡の復活ストーリーを紹介する。

旭酒造会長

桜井博志

(さくらい・ひろし)1984年、旭酒造(山口県岩国市)の三代目社長に就任。2016年9月より現職。

画像提供:旭酒造

単一銘柄として日本一の売上げを誇る日本酒「獺祭」。日本酒業界が落ち込む中、年々、売上げを伸ばし続けている。

今や世界20カ国で愛飲される酒を世に送り出した旭酒造は、30年ほど前は、まさにどん底の状態にあった。

「明日、うちの会社はあるんだろうか……」

1984年、急逝した父の後を継いで旭酒造三代目社長に就任した桜井博志氏(現会長)は、眠れぬ日々を過ごしていた。

当時の年間売上は、ピーク時の3分の1以下の1億円未満。日本酒業界が苦境に追い込まれる中、同社の売上げも前年比85%と落ち込んでいた。

しかも旭酒造は、山口県岩国市の中心地から車で40~50分かかる山奥の過疎地にある。地元岩国市の酒蔵でも4番手の負け組で、倒産もささやかれるほど。

このままでは、従業員も家族も路頭に迷わせてしまう……。

危機感を募らせた桜井氏は、毎日社員を集め、「どうしたら売れるんやろうか」と聞いた。

「うちは値引きが足りません」

「おまけがついていません」

社員の答えは「売る方法」ではなく「売れない理由」ばかり。社員の言葉を信じて手を打ってみたが、どれも効果はなかった。

大手が紙パック詰めの日本酒を売り出したと聞いて真似をし、少量の紙カップ入りの酒も造ってみた。一時的にヒットしたものの、他社も真似し始めると売上げは再び下降線をたどった。

次ページからのポイント

自社の存在意義を問い直す

一人の消費者の立場に立ち真摯に商品と向き合う

「届ける」ところまでが仕事

今の成功に甘んじない