「あしたのジョー」に見る、日本の美学(前編)
2013.02.18
マンガ「あしたのジョー」完結から40年ということで、17日付毎日新聞が作者のちばてつや氏のインタビューを載せている。いまだ根強い人気があるこのマンガの秘密はどこにあるのだろうか。
「あしたのジョー」が少年マガジンで連載されたのは1967年から73年。まさに日本の高度成長期に重なる。私見だが、このマンガが日本人の心にいまだに影響を与えているのは、その後も含めた日本の「敗者復活」に重ね合わせた「美学」があるのではないかと思う。
たとえば、ごく簡単に主人公、矢吹丈の半生と、日本の戦後を重ねてみよう。
- ドヤ街の不良時代から少年院時代⇒日本の敗戦による荒廃期
- 少年院でライバル力石徹と出会い、本格的にボクシングを始める⇒アメリカに追いつこうと高度成長を始める
- 力石徹と死闘の末敗れるが、力石も死ぬ⇒バブル期にアメリカを追い越そうとしたが敗れるが、その後アメリカも停滞する
- 力石の死のショックから立ち直れず低迷を続ける⇒「失われた20年」で停滞する
- カーロス・リベラとの対決で立ち直る⇒今、自信を回復しつつある
ややこじつけに近いが、「あしたのジョー」完結以降も日本人の心情に訴えるのは、こんな「時代の雰囲気」にマッチしているのかもしれない。
さてこの後、矢吹丈は韓国の金竜飛というボクサーと闘う。金は朝鮮戦争で悲惨な子供時代を送り、食べるものもない環境で育ったという、「ハングリー」を絵に描いたようなボクサーだ。その生い立ちを知って、丈は戦う前から「負けた」と思ってしまう。
これは、日本が韓国や中国から戦争責任を追及され、南京大虐殺や従軍慰安婦などで自虐史観を植え付けられたのに似ている。
しかし、丈は、力石徹が自分と闘うために過酷な減量を課した姿を思い出す。金が外からの環境によって飢えたのに対し、力石は自らの意思で水すらも飲まなかった。つまり力石の方がずっと上だと知って、「呪縛」を振り切って金を倒したのだ。
これを日本になぞらえれば、「韓国や中国は他国のせいにしているが、日本は他国のせいにすることなく、逆に戦争によって他国を解放したのだ」という真実を思い出すことによって、自虐史観という「洗脳」から解放されるということだろう。
そのとき日本は、丈のように自らの「本当の強さ」を自覚し、発揮することができるはずだ。(仁)
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