法話抜粋レポート

創立者が遺す「後世への最大遺物」

「幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅠ・Ⅱ(概論)」

2014年8月14日収録

日本では、数多くの私立大学が、さまざまな創立の理念のもとに創立され、社会に有為な人材の輩出を目指してきた。その中には、当然、宗教系大学も数多く存在し、仏教やキリスト教などの伝統宗教を始め、天理教や創価学会などの新宗教も大学を持っている。少子化時代ではあるものの、信仰を持つ学生たちには、その信条に沿った校風のもとで学べる環境を求める声があり、それに応えることは「学問の自由」を保障することでもある。

2015年の開学を目指している幸福の科学大学(仮称・設置認可申請中)もまた、そうした声を受けているのはもちろんだが、その創立の精神には、新たな国づくりとも言うべき理念が込められている。このたび、創立者である大川隆法・幸福の科学総裁が、その開学の精神を語ると同時に、なぜ今、幸福の科学大学が必要なのかを質疑応答形式で明らかにした。

「開学の精神」の重要性

ハーバード大学のように、国家に先立って大学が存在した例もあるように、大学は元来、人づくりの場であると同時に、国づくりの場でもあった。明治時代以降、日本が国際社会において興隆した背景にも、西洋文明を取り入れた大学教育の力があったことは論を待たない。

日本における私学の雄である早稲田大学と慶應義塾大学の建学の精神は有名だ。

「在野精神」の体現者であった大隈重信は、早稲田大学の教旨として、「学問の独立を全うし 学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す」と定めた。

また、「独立自尊」を謳った福沢諭吉は「慶應義塾の目的」として、「気品の泉源、智徳の模範たらん」「全社会の先導者たらん」と記している。

日本の柱たらんとした建学者の心意気が伝わってくるが、そのどちらも、人材を養成する大学教育が、当時の新たな国造りとも直結していたことが伺える。

これは宗教系の大学にも共通しており、例えば、同志社の創立者である新島襄は、「基督教主義を以て徳育の基本と為せり」と述べ、「一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せん」と決意している。この志の背景には、新島が広く欧米を見聞して得た発見があったからだ。

新島は、欧米文明をつくり、支えているものは、キリスト教信仰を持ち、デモクラシーを体得した独立自尊の人間だと気付いたのだが、その発見が大学創立に結びついたのは彼の死後22年。生前、新島は勝海舟に「大学の完成には200年」と答えていたという。

こうしてみると、現在、世の中で一定の評価を確立した大学では、創立者の精神が、時代を経ても連綿と受け継がれ、大学の向かうべき未来を示していることが分かる。

教育は根本となる理念を基に生成・発展していくので、こうした「開学の精神」は大学事業にとって極めて重要なものだ。

今回、大川総裁が「概論」として語られた「創立者の精神」は、幸福の科学の教えが持つ学問性や、時代を越えて受け継がれる普遍性を示している。

唯物的な左翼イデオロギーは精神的主柱となりえない

「幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅠ(概論)」の冒頭、大川総裁は、 「『戦後憲法体制』が始まって以降、憲法学者や民法学者、政治学者、教育学者等においては、左翼的なイデオロギーに染まった考え方を持った人が非常にもてはやされました」 と述べ、価値中立を声高に唱える現代の学問界が、実際には左翼的な思想に偏った学問体系を連綿と続けてきていることを喝破した。

戦後、GHQによる占領政策において、愛国心教育をしていた教職員12万人を追放する「教職員追放」など、共産主義的な思想が流行るような言論統制が行われた。その結果、社会主義、共産主義的な思想を持つ人が社会で有為な立場に立ち、「アメリカなどの戦勝国にのみ正義があり、日本は侵略戦争で多くの人々を苦しめた犯罪国家」という、反日プロパガンダそのものの歴史観が学校教育や言論界で長らく幅を利かせてきた。

さらに、交戦権を自ら否定するという、主権の放棄とも言える内容の日本国憲法を維持することを前提とした上で、さまざまな学問が構築されてきた流れがある。その結果、自虐史観が日本に浸透し、中国、韓国などを中心とした歴史認識問題や、国防上の危機を招いている現状がある。

大川総裁は、こうした戦後体制を見直して、次の世代の教育に一本筋を通すためにも、新たな精神的主柱を立てることの必要性を強調。今日的な学問の自由や信教の自由からすれば、不十分な点はあったものの、天皇制を軸にした戦前の国家神道は、国の精神的な柱であったと指摘した。

戦後体制の中で、この精神的主柱が骨抜きにされたまま70年が経とうとしている今、日本の伝統に合った新しい時代に適合する精神的主柱を、日本に立てることが急務となっているのだ。

欧米諸国においては、キリスト教精神が主柱の役割をこれまで果たしてきたと思われるが、日本ではキリスト教的価値観は十分に根づかなかった。また、欧米諸国にしても、イスラム諸国などの間で宗教対立を深めている面があり、世界レベルでの正義や融和を実現していく上で、十分な発信力を持ち得ていないのが現状だ。

また、仏教は日本の歴史において、文明の高みを築くために極めて重要な位置を占めてきたのは事実だが、2500年にわたる歴史に中で、教えが形骸化してきているのは否めない。

幸福の科学大学の使命

日本が歴史的に今置かれている状況を概観した上で、大川総裁は、 「中国や朝鮮半島を経由して聖徳太子が取り入れた仏教に当たるものを、今の時代の新しい精神的思想として入れようとしているのが幸福の科学」 と断言。さらに、 「もう一段、新しい観点から、宗教的精神をも取り込みつつ、新時代の国家をつくり、あるいは、教育をつくり、人材をつくるための理念というものを、長期的に研究しながらつくり上げていく組織が要る」 と語り、幸福の科学大学の必要性を示した。

これまで、『幸福学概論』や『宗教社会学概論』『「幸福の科学教学」を学問的に分析する』(いずれも幸福の科学出版刊)で示しているように、大川総裁の思想は、世界の主要な宗教の教えや哲学、その他の学問などのエッセンスを幅広く網羅している。それだけの思想的な多様性を持ちつつも、宗教間や国家間、民族間の対立を解消していく道筋を示しているのだ。その思想を「幸福の科学教学」として、もう一段、学問的に研究していく予定の幸福の科学大学は、今、日本のみならず、世界の利益に適うものである。

既存の宗教系大学では、その宗教以外の教えを布教したりすることが禁じられているケースが多く、必ずしも「信教の自由」を保障するような運営がなされているとは言い難い。また、キリスト教徒は、全宗派を合わせても60万人程度と言われているが、キリスト教系の大学は数多く存在している。

幸福の科学はそれ以上の広がりを持ち、かつ、宗教的寛容の精神をもっている。その信者子弟が、自らの信条に沿った大学教育を受けられるような道を拓くことは、「学問の自由」「信教の自由」を謳う国家の義務ではないだろうか。

本法話の後半で大川総裁は、「『心』というものは、学問的には何なのか確定されない」という疑問に対して、「心とは何か」について明快な答えを示した。

大川総裁は、唯物論に対抗するものとして、心理学における「深層心理」の概念があることに言及し、心を認めない物中心の見方では抽象的な思考ができず、そもそも「人文科学」や「社会科学」は成り立たないと指摘。

さらに、日本神道的解釈や仏教的解釈における心について解説し、数多くの霊言を行っている幸福の科学における心の定義についても明らかにした。

人間の本質が霊、魂であることを証明し続けている霊言は、2009年からすでに500人以上に上っており、学問的対象として研究するのに十分な量を備えていると言えるだろう。

大川総裁の語る学問の本質

「幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅡ(概論)」においては、大川総裁自身の学問への姿勢や探究心について述べられた。

大川総裁の思想の学問性に迫る上では、幸福の科学教学の基本書の一冊である『太陽の法』に説かれている教祖伝が重要といえる。そのなかには、大川総裁が小学生時代から比類なき自助努力の精神のもと勉学に励み、高校一年では通信添削で六回連続全国一位になるなど、極めて優秀な学業成績を修めていたことが記されている。

東京大学に進学した後は、さらなる学問的天才性を発揮。大学三年の春休みには、アメリカの政治哲学者、ハンナ・アーレントの研究として「ハンナ・アーレントの価値世界について」という論文を書き上げた。この論文は、教授から「マチュアー(成熟している)」という評価を受け、序文を書き添えて、内容を倍ぐらいに引き伸ばせば、助手論文(博士論文程度)レベルに達していると判定されている。

法学、国際政治学、哲学など、幅広い学問を渉猟する学生時代を過ごした大川総裁だが、本法話の冒頭、近現代における職業としての学問は、できるだけ研究の対象を狭くする専門分化の傾向が強いことを指摘。

社会学者のマックス・ウェーバーは、『職業としての学問』において、「学者が、後々まで残る仕事を成し遂げたという、おそらく生涯に一度だけ、二度とは味わうことができない深い喜びを感じることができるとすれば、それは自分のごく狭い領域に閉じこもることによってなのです」(中山元訳、日経BPクラシックス)と述べている。こうした指摘は、大学院生が博士論文を書くような場合には確かに当てはまる。絞り込まなければ研究としての独自性が出ず、学位を取ることは難しいからだ。

大川総裁は、マックス・ウェーバーのこの指摘は、学問をする側の人間のキャパシティーを鑑みて、“親切心"で言ったことではないかと推察しつつも、 「しかし、私は、『学問の本質とは、真理の探究から始まっていくものだ』と思いますし、その真理とは、やはり好奇心がもとにはなるものの、できるだけ幅広く、深く、遠くまで見通したいものだと考えています」 と述べ、真理とは具体的には「真・善・美」であるとした。

さらに、現状の学問は、KJ法などの簡略な論文の書き方や、多くの学術書や論文をいかに上手く切り貼りするかなど、テクニカルなものばかりが増えていることを問題視。「論文として認められるかどうか」が先行し、学問としての本質が見失われていると喝破した。

学問は知的生産性を高めよ

大川総裁は続けて、学問の基本的な態度は、本質的に何か訴えるべき核の部分があるかどうか、まだ誰も発見していないものを見つけたか否かなどにあるとし、学んだものを結晶化し、知的生産に結び付けることの重要性を強調した。

結局、いくら知識を集めても、それが最終的に知的生産物に変わっていかなければ時間の無駄になってしまう。この点、現状の学問界は知的生産性が足りないのではないかと危惧した。

そして、今後の国家や世界の運営を考えたとき、拡散している知識体系を鳥瞰して価値判断できるような目を持つ人の存在がいかに必要であるかを指摘した上で、大川総裁の学問的探究心を次のように語った。

「『諸学問の開拓』をすると同時に『諸学問の統合』をする」ということは、はっきり言えば、十倍ぐらいのエネルギーがかかることではありますが、私はこうしたことを学生時代に志しました」

限りなく専門分化が進み、社会に対して有為な知的生産物を生み出していくことが難しくなってきている学問界において、こうした志を掲げる大学が誕生することはイノベーションそのものと言える。

新たな学問的地平を切り開かんとする、幸福の科学大学創立者の精神は、後世にまで多大な影響を与え続けるだろう。

この他にも、「幸福の定義とは」という問いに対して、大川総裁は、「霊的人生観を知る」ことから始まる幸福の段階論を明快に示した。最後には、

人生の理想として永遠なるものを求めることの意義や、最後に普遍性を体現できる境地にまで到達するまでの道のりが語られた。

創立者の精神が明かされたこの二つの法話は、現代において、生きる道や真の学問を求める者への福音となるだろう。

本法話では他にも、以下のような点について触れられている。

  • 戦前の精神的主柱だった日本神道の特徴。
  • 明治維新でやり残したこととは何か。
  • 心を一言で定義する。
  • 「ホモ・エコノミスト(経済的人間)」は思い込みにすぎない?
  • 幸福の科学の「魂のきょうだい」理論を解説する。
  • 道元禅を専門分析すると、仏教の全容が分からなくなる。
  • 政治学を勉強すると、なぜ宗教に行きつくのか。
  • 商社勤務で見えてきた国際政治。
  • 理科系の人から学べる「知的創造」の視点。
  • 知的投資を無駄にしない「知的生産の技術」。
  • なぜ、唯物論では幸福を理解できないのか。
  • 「後世への最大遺物」を幸福論から考える。
  • 仏陀、キリスト、ソクラテスが人類に示した普遍性とは。

ここに紹介したのは法話のごく一部です。詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。

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