全ての苦しみは乗り越えられる──。
本誌7月号「スイスの聖人カール・ヒルティ 未来に向けて語られた『幸福論』の真意を探る」では、思想家であり、法学者であり、政治家であったヒルティ(1833~1909年)が、人々の悩みを、「仕事」「習慣」「時間」など、具体的な面から解決していく方法を示したことや、「神の側近くにある幸福」について論じていた点などについて紹介した。
Web版では、2回にわたり、本誌では伝えきれなかったヒルティの広範な見識や、奥深い信仰を体現した生き方について紹介する。今回は、その前編。
弁護士から大学教授、さまざまな分野に言論を発表する「哲人」へ
スイスに生まれたヒルティは、1854年にハイデルベルク大学で法律を学び、21歳で博士号を取り、1年ほど各地で遊学した後、弁護士として開業した。18年間の勤勉な姿勢、有能かつ公正さが高く評価され、41歳ごろに首都のベルン大学の正教授として招聘された。
ただヒルティは、国法学や国際法を講義するだけでなく、社会の諸問題や人間の求めるべき幸福について、言論を公にし、「スイスの哲人」とも称えられた。その言論とは、いかなるものであったのか。本欄では、「司法」「教育」「平和」について、現代人が耳を傾けるべき、ヒルティの指摘を紹介する。
司法:市民の健全な生活ぶり、すぐれた教育、誠実な心性が、司法を正しく機能させる
ヒルティは、弁護士としての経験から、裁判や法律のあるべき姿を考察し続けていた。
「りっぱな裁判が行われるみなもととなるのは、主として、市民の健全な生活ぶり、すぐれた教育、誠実な心性であって、病的な物質主義が混入してはならない。有為な人間を作る気風が、すぐれた裁判制度をも作るのである。
裁判制度は、その国の道徳面での繁栄とたがいに密接に影響し合っている。したがって裁判のあり方は、つねにその国の道徳水準を知るのに、好適な材料と見なされるほどである。道徳的に堕落した国家は、最良の法律を持っても、すぐれた裁判は持ちえない」(アルフレート・シュトゥッキ著『ヒルティ伝』白水社)






















