長い歴史を有する日本では想像もつかないが、世界では国が滅ぶという現実がある。国家はいかなる理由で危機に陥り、滅びていくのか。中国の侵略によって国家としての地位を失い、自治区にされた内モンゴル、ウイグル、チベットの人々に話を聞いた(2011年3月号記事より再掲。内容や肩書きなどは当時のもの)。
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理由(3)
一国平和主義の立場をとっていた
桐蔭横浜大学大学院教授
ペマ・ギャルポ
1953年チベット・カム地方生まれ。65年来日。80年ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表などを経て、現職。モンゴル大統領顧問なども務める。著書に『中国が隠し続けるチベットの真実』(扶桑社新書)などがある。
【地域データ】
チベット自治区
- 自治区への編入時期:1965年
- 人口:2740万人(チベット族93%、漢族6%、その他1%)
平和な独立を保っていたチベットの状況が一変したのは、第二次大戦後の1949年に、中華人民共和国が成立して以降のことです。
チベットでは仏教が尊ばれ、僧侶は哲学や医学などにも精通するエリート。1つのお寺に何千、何万という信者がいて、政治、経済、文化などあらゆる分野に強い影響力を持ちます。
そこに目をつけた中国は「キリスト教=帝国主義者から仏教を守る」と言って、無理やりチベットに侵攻してきました。そして途中から、「封建社会から人民を解放する」と言い始め、地主、貴族、豪族をやり玉に挙げ、「あなたたちの生活が苦しいのは、こういう人たちがいたからだ」と民衆の嫉妬や憎悪をあおり、次々と処刑していったのです。
宗教を貶め、社会を壊す
中国が次に標的にしたのは、ダライ・ラマ法王を頂点とする僧侶たちです。「宗教はアヘン」として、当初チベット全土に7千あったお寺の9割を破壊。人口の5人に1人が僧侶でしたが、侵略の過程で僧侶の9割以上が死亡、強制的に還俗、国外逃亡を余儀なくされました。僧侶を縄で絞め殺すのに仏像を重石に使ったり、民衆の前で汚物を食べさせるなどして、民衆が僧侶に抱く尊敬の念を奪い、チベット社会を破壊したのです。
これは民族の大虐殺です。国際司法委員会も中国を告発していますが、1950年から84年までに虐殺で亡くなったチベット人は120万人を超えると言われています。
現在、チベット自治区では、法王の写真を持つことすら禁止されていますし、許可なしに5人以上が集まった場合は「集会」とみなされ、当局の裁量で処分されます。基本的人権はもちろん、思想、言論、出版、結社などあらゆる自由がありません。
平和を望むだけでは平和にならない
あえて、チベット側の反省点を挙げるとすれば、17世紀以降、鎖国政策をとり、「仏教を強く信仰し、平和を望んでいれば、平和になる」と、一国平和主義の立場をとっていたことでしょうか。
歴史を振り返って感じるのは、戦争への備えがあれば、お互いにある程度緊張状態にはなるけど、簡単に手は出せないということです。戦争をしたくないのであれば、むしろ戦争の準備を行うべき。国が衰退したり、滅んだりする過程において、戦争よりも「平和」がその要因になっていることが多いのです。
もう一つ、遊牧民であるがゆえに、近代的な国家意識が希薄だったことがあるかもしれません。元々、人間が線を引いて国境をつくるなんていうのは西欧的な発想であって、チベット人が考える国境は山や川、文化でした。長い間、鎖国をしていた影響で、近代国家という概念を理解するのが遅かったのです。
ヤクザにはそれなりの対応が必要
チベットへの侵略を含め、中国が他国を侵略する手口は、主に3段階に分けられるように思います。
まず、敵の中に味方をつくります。イデオロギーや階級、ときには「平和」を唱えるなどして、自分たちに協力してくれそうな勢力に、金や地位などの「アメ」を与えます。
次にやることは、その国に存在する「力」を利用することです。中国は他の何よりも「力」を信じている。ある雑誌の調査で、中国人が尊敬する日本の首相の第一位は小泉純一郎氏という結果に驚きましたが、彼らは良くも悪くも「強さ」を評価するのです。
そして3つ目は、「撹乱・分離」です。自分たちに脅威になる存在は、外交、経済、軍事などあらゆる力を使って、国同士、政党同士の関係を悪くさせます。
以前、靖国神社で花見をしていたとき、友人が隣のヤクザのブルーシートを踏んでしまったことがあります。そのとき、ヤクザが「謝れ!」と怒鳴って、友人は謝った。そしたら今度は、「土下座しろ!」と言ってきた。私は頭にきて、「謝ってるだろう!」とヤクザの足を思い切り踏んづけたんです。そうしたらヤクザは驚いて黙ってしまいました。
国家間の関係というのも、これに似ていて、ヤクザのような態度をとる相手には、それなりの対応が必要なのです。
理由(4)
目先の利益のために中国を招き入れた
中国民族問題研究会代表
殿岡 昭郎
(とのおか・てるお) 1941年栃木県生まれ。慶応大学大学院法学研究科博士課程修了。駒沢大学講師、東京学芸大学助教授などを歴任。その後、約20年にわたりタイに居住し、インドシナ難民支援活動に従事。著書に『尖閣諸島灯台物語』(高木書房)などがある。
私は中国に侵略された3民族の支援活動を行っていますが、日本人に警鐘を鳴らす意味で、あえて「侵略を許した理由」を分析してみます。
まず内モンゴルですが、ある時期から王族・貴族が、満州族や漢族に遊牧地を切り売りして金儲けを始めました。目先の利益のために、彼らを招き入れた結果、民族の生業である牧畜業が成り立たなくなった。
ウイグルは、シルクロードに代表されるように民族間の交流が激しい地域で、近代以降も国家意識の形成が十分に成熟しないまま、国際政治に翻弄されたと言えます。
チベットは、ダライ・ラマ13世が、近代的な官僚機構や軍隊の整備、国際連盟への加入などを目指しましたが、既成勢力である貴族や僧侶が反対した。連盟に加入して国家として広く認知されていたら、人民解放軍の侵入はなかったかもしれません。
もちろん、周辺国が国際会議で勝手に物事を決めたことなど、同情すべき点はたくさんあります。でも、国際社会は厳しいもので、一度決まったことを変更するには、当事国は気が遠くなるほどの努力や時間を費やさなければいけません。
難民キャンプでは強奪や人身売買が横行
私は40代の頃、タイ国境の難民キャンプを訪れました。そこには、ベトナム戦争で共産主義勢力に国を追われたベトナムやラオス、カンボジアなどの人々がたくさんいました。
キャンプは、国連や地元の軍隊が警護し、食料や物資などの人道支援もありましたが、それは日中の話。夜には、公然と食料や金品の強奪、物資の横流し、麻薬、人身売買、強姦が行われ、かつての王族や政府・軍の高官など、老若男女が無差別に被害に遭う。驚くことに、加害者の多くが昼間は警護をしている警察や軍隊でした。
「国が滅びることは、どれだけつらいか。国民はどれだけ苦しむか」ということを嫌というほど思い知らされました。
今、多くの日本人は、国家の大切さを認識せず、「ボーダレス経済」と言って、商売さえ上手くいけば国家なんて関係ないという風潮があります。
でも、現実は国家単位で政治が行われ、国家がなければ政治に参加することも、自分たちの意思を反映することもできません。3民族の人々が、声を枯らして「自分たちの国がほしい」と叫ぶ意味を理解すべきです。
国家は主張し、議論し、ときには対立する
尖閣事件をはじめ、最近の民主党政権の外交姿勢を見ていると、「日本は本当に独立国家か?」と感じます。すべての物事を中国の顔色をうかがいながら決めている。外国に対して何も言えない政府は、独立国の政府として資格を欠いています。
もちろん、日中友好は大事ですが、国として譲れないことがあれば、主張し、議論し、ときには対立しなければいけない。それが独立国家の姿です。
それは個人も同じ。友人と仲良くしたいけど、意見の食い違いや利害の対立がある。そのとき、自分の主張を通すか、相手の意見に同調するか。
尖閣事件でも、民主党政権は中国に対し、堂々と「国際司法裁判所に提訴しよう」と言えばいい。中国は彼らの領土であることを示す証拠がないので絶対に乗ってきません。しかし、そのやり取りをオープンにすれば、世界に日本の正しさを示せる。それが外交というものです。
厳しい話になりましたが、私は日本の未来を悲観していません。日本にもまだまだ人材がいるはずです。幕末の人口や情報伝達手段と比べたら、現在、坂本龍馬のような人物が100人出てもおかしくない。国民一人ひとりが、「国を支えるのは自分だ」という気概を持って、それぞれの立場で国難に立ち向かえば日本は大丈夫です。(談)
日本は悪に屈しない「サムライ精神」を取り戻せ
侵略を受けた地域の人々には同情を禁じ得ない。だが3氏が挙げる、中国に侵略された主な要因を現代の日本への教訓としたい。それは次の3点だ。
- 「政治的、軍事的な力が不足していた」 (内モンゴル)
- 「国際情勢の知識が不足していた」 (ウイグル)
- 「一国平和主義の立場をとっていた」 (チベット)
この3つの要因はいずれも、現在の日本の状況と重なるのではないか。民主党政権は昨年9月、尖閣諸島沖事件で、「政治的な力不足」で中国の恫喝に屈して中国人船長を釈放した。
また、沖縄の米軍普天間基地についても、中国・北朝鮮に対する抑止力になっているにもかかわらず、「国際情勢の知識不足」から「県外移設」と言ったり、結論を先送りして日米同盟に亀裂を入れている。また、中国が軍事大国化する中でも憲法改正論議が盛り上がらない現状が「一国平和主義」を象徴している。
「経済一辺倒」で国が滅ぶ
3民族を支援する殿岡昭郎氏も、侵略された要因について、「目先の利益を求めた」と指摘するが、これも、中国との経済的なつながりを気にし過ぎて主張すべきことを主張しない今の日本と重なる。
この「国防よりも経済優先」という意識は日本国民の多くが漠然と共有しているが、その基をたどれば、やはり「吉田ドクトリン」に行き着く。
戦後、冷戦構造が生まれ朝鮮戦争が起きる中で、米国は日本に再軍備を求めたが、当時の吉田茂首相は応じず、軍事費をかけずに経済復興を目指す「吉田ドクトリン」を打ち出し、国防を米国に依存。この考え方が戦後の日本を形作ってきた。
だが、経済一辺倒になれば国が滅亡することは、歴史が証明している。紀元前146年、地中海の通商国家カルタゴ(現在のチュニジア)は、ひたすら金儲けに邁進した結果、ローマ軍によって滅ぼされた。
またその300年ほど昔にも、貿易で隆盛を誇ったミロス島(現在のギリシャ)がアテネ軍に滅ぼされたが、ミロスの人々は「営利心と愛国心は反比例する」「国家が武装すれば交易相手国に覇権の疑心を与える」と考え、非武装中立を貫いていたという。
「根本は人間としての胆力」
こうして見ると、3地域のみならず、古代のカルタゴ、ミロス島の滅亡要因も現代の日本に当てはまる。このままでは日本も亡国の道を歩みかねないが、そうならないためには、国家指導の理念とも言うべき「日本外交の鉄則」を固める必要がある。
外交の鉄則とは、とりもなおさず、先に挙げた国が滅ぶ理由を裏返したものとなろう。
つまり、政治力・軍事力の強化、十分な国際情勢の知識、空想的な平和主義から国防の裏付けのある平和主義への転換、経済優先思想からの脱却──等々である。
自国の立場を毅然と主張する外交力が政治力となるが、その外交の担保は軍事力である。国を守る国防体制を整えてこそ、初めて対等の外交が成立する。
国際情勢は刻一刻と変化しており、その中で日々国益を守る判断を積み重ねていくには、日本の置かれた状況を絶えず敏感につかむセンスが必要となる。
その上で、国力を高め、侵略されないだけの国防体制を整えなければいけない。たとえ経済が弱っても国防が整っていれば侵略を阻止できるが、経済優先で国防を疎かにすれば容易に侵略を許してしまう。
そして結局、こうした外交の鉄則は指導者の資質に負うところが大きい。大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は、次のように指摘している。
「『悪には決して屈しないこと』『侵略に対しては事前に準備をすること』『サムライ精神を取り戻すこと』『正論は譲らないこと』等々、大切な外交の鉄則は数々ある。しかし、根本は人間としての胆力である」 (『日本外交の鉄則』幸福の科学出版)
今こそ日本は、正論を譲らず、悪には屈しない「サムライ精神」を取り戻すべきだ。
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