2011年3月号記事

「外交の鉄則」を固めよ

内モンゴル、ウイグル、チベットからの警告

長い歴史を有する日本では想像もつかないが、世界では国が滅ぶという現実がある。国家はいかなる理由で危機に陥り、滅びていくのか。中国の侵略によって国家としての地位を失い、自治区にされた内モンゴル、ウイグル、チベットの人々に話を聞いた。(編集部・山下格史)

理由①

政治的、軍事的な

「力」が足りなかった

モンゴル自由連盟党 幹事長 オルホノド・ダイチン

1966年内モンゴル自治区アル・ホルチン旗生まれ。89年内モンゴル師範大学卒業。2000年に来日。08年大阪大学大学院博士後期課程修了。06年モンゴル自由連盟党を結成し、現職。機関誌「自由モンゴル」の編集長も務める。

【地域データ】

内モンゴル自治区(南モンゴル)

自治区への編入時期:1947年

人口:2384万人(漢族79%、モンゴル族17%、満州族等4%)

かつて清朝の支配下にあった内モンゴルですが、辛亥革命が起きた1911年、外モンゴル(現在のモンゴル国)とともに統一モンゴル国の独立を宣言しました。

しかし、清朝を倒した中華民国は統一を認めず、戦争が起きました。そして15年に、ロシアと中華民国の間で、外モンゴルのみの自治を認める決定がなされ、それ以降、内・外モンゴルは異なる道を歩みます。

その後、内モンゴルは45年のヤルタ協定で、中華民国の一部とされ、国共内戦が続く47年に中国共産党によって「内モンゴル自治区」に組み込まれました。

この過程で、多くの国際会議や国同士の話し合いが行われましたが、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁する場面はありませんでした。大国の利害に翻弄され続けた内モンゴルは、国際政治の舞台で政治的、軍事的な「力」が足りなかったのです。

恐怖で声も上げられない

自治区を設置した中国共産党は当初、「モンゴル人の自治を守る」「お互い平和に暮らそう」と甘い言葉を使って内モンゴルに軍隊を送り込みました。

ところが、60年代の文化大革命時の「内モンゴル人民革命党粛清事件」では、自治を求めるモンゴル人が「民族分裂主義者」として大量に虐殺されました。

この事件では、中国政府が発表した控え目な数字でも逮捕者は35万人、拷問で身体的な障害が残った人は12万人。死亡者は3万人近くですが、5万人や10万人という説もあります。

当時、自治区内にいたモンゴル人は150万人弱なので、平均して1世帯から1人の逮捕者が出た計算です。現在も内モンゴルの町には、顔や腕、足などに障害を持った人がたくさんいて、事件の傷跡は癒えていません。

日本の皆さんは、内モンゴルでデモや反政府運動が起きたニュースを聞かないと思いますが、徹底的に弾圧されたモンゴルの人々は恐怖心が強く残り、声を上げる気力もないのです。

2人の漢族が5万人に増

侵略以来、内モンゴルにはたくさんの漢族、つまり中国人が移住しています。シリンゴルのスニト右旗という地域には、47年の時点で2人しかいなかった中国人が、現在は5万人もいます。「農業技術指導」「辺境を援助する」などの理由で入ってきますが、そうやって人口を増やして侵略を進めるのが彼らのやり方です。

内モンゴルは中国で最も経済発展している地域で、GDP成長率は8年連続1位、09年のGDPも前年比で17%伸びました。豊富な地下資源のおかげですが、中国のレアアースの9割が内モンゴルで採れます。でも、その利益はすべて中国人が得るのです。

放牧などで暮らしていたモンゴル人は、資源採掘のために、土地から追い出され、町に強制移住させられています。移住先で生計が立てられないため、移住を拒否する人もいますが、そういう人のところには、夜、一般人を装った警察官がやって来て、暴行を加えるのです。

「次は、日本だ」

中国にも「民族自治法」があって、法律上はモンゴル人にもあらゆる自由が保障されています。でも、それはただ法律に書いてあるだけで、現実にはすべての自由が奪われています。

最近は、公務員や会社員の募集でモンゴル人は採用しないところが多い。日本にいる留学生は、ウイグル人の500人、チベット人の100人に比べ、モンゴル人は1万人と飛び抜けているのもそのせいです。みんなアルバイトをして生計を立てていますが、本質は「留学難民」です。

現在、私も日本で働きながら、中国政府への抗議活動を続けていますが、日本人は中国に対する危機感が非常に薄い。昨年9月、尖閣諸島沖の事件が起きたとき、私は「内モンゴル、ウイグル、チベットの次は、日本だ」と感じ、仲間と共に街頭に立って、中国の脅威を訴えるビラを撒きました。

日本人はあまりに平和で、幸せ過ぎて、中国が他国を侵略するという現実を理解できないのでしょう。経験してからでは遅い。独立国家として、国益を主張したり、国防を強化しなければ、本当に国が滅びます。

理由②

国際情勢の知識が

不足していた

世界ウイグル会議日本全権代表 イリハム・マハムティ

1969年東トルキスタンのクムル生まれ。新疆大学予備学部入学。91年西北師範大学を中退。2001年に留学のため来日し、現職。日本ウイグル協会会長も務める。著書に『7.5ウイグル虐殺の真実』(宝島社新書)がある。

【地域データ】

新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)

自治区への編入時期:1955年

人口:1963万人(ウイグル族45%、漢族41%、カザフ族等14%)

ウイグル人は1933年に、「東トルキスタンイスラム共和国」の建国を宣言しました。

しかしその半年後、共和国が崩壊の危機に陥った時、中華民国がウイグル人の分断を画策します。共和国の大統領に、中華民国の支配下にある新疆省政府副主席の座を与える代わりに、利害がぶつかるトルコと関係を深めていた共和国の首相の身柄を引き渡させます。しかし、最終的に大統領自身も刑務所に入れられ、亡くなりました。

背景では大国の利害が複雑に絡み合っていましたが、大事な時期にウイグル人自身が団結できなかったことも事実です。

国の指導者7人が

一度に消された

独立を求めるウイグル人はソ連の支援を受けて、44年に再び共和国を建国しますが、翌年のヤルタ会談の密約でソ連から中華民国に売り渡されました。

そして、49年に国共内戦を制した中国共産党が、「連邦制か、自治か、話し合おう」と融和的な姿勢を見せ、共和国の政治、軍事、宗教のトップ7人を北京の政治協商会議に招待します。

しかし、7人を乗せた飛行機はソ連の領空で消息を断ち、政府首脳を失った共和国は大混乱に陥り、どさくさにまぎれてなだれ込んできた共産党軍の支配下に置かれてしまいます。その飛行機はソ連が用意したもので、7人はモスクワの秘密刑務所で獄死したと言われています。

当時の共和国は、武器も物資もソ連からの支援で成り立っていましたが、目まぐるしい国際情勢の変化の中で、ソ連にとって中国が大事なパートナーになったため、結果的に共和国は見捨てられたのです。

ウイグルでは45年以降、中国によって独立運動のリーダーや宗教指導者、知識人などが、でたらめな理由で逮捕・処刑されたり、行方不明になり、全体で160万人以上が殺されたと言われます。さらに、自治区内に建てられた核施設では、これまでに46回の核実験が行われ、ウイグル人19万人が亡くなり、今でも129万人が健康被害で苦しんでいます。

中国の嘘を信じ

オオカミを招き入れた

侵略された当時の人々を批判できませんが、ウイグル人側の反省として挙げられるのは、「国際情勢に対する知識が不足していた」という点です。

その頃のウイグル人の多くが、第一次、第二次世界大戦について知らなかったと思います。大陸の真ん中に住み、情報の伝達手段と言えば、馬に乗って人から人へと口コミ。一部の知識人以外、列強諸国が自国の利益のために他国を侵略したり、されたりしている現実を知りませんでした。

たとえば、中国共産党がウイグルに入ってくるとき、彼らは「国民党からウイグル人を守る」と言って軍隊を駐留させ続けました。ウイグル人はその言葉を信じて、共産党軍に食べ物を与え、家に泊めてあげた。でも結果的に、自分の家にオオカミを招き入れてしまったのです。

外国と対等に渡り合える

人材を育てるべき

今、日本人は商売上の理由で、中国を重視していますが、利益のために自分の尊厳や人格、文化を売ってはいけません。「生活が満たされればいい」という考えでは、いつか必ず奴隷にされます。中国が、日本そしてアジアを支配しようとしている現実をもっと見つめるべきです。

今日本に必要なのは、「国を愛する教育」だと思います。愛国教育は罪じゃない。アメリカだってヨーロッパだって、世界中のどの国でもやっています。なぜ日本はやらないのか。自分の国を愛する人がいるからこそ、その国が強くなるし、他国とも対等な関係が築けます。

現在ウイグルの教育現場では、ウイグル人同士さえもウイグル語で話すことを禁じられています。自分の国の言葉を話す自由を奪われた国民に、他に何の自由があると思いますか?

中国人がウイグル人を残酷に殺すことができるのも、やはり教育の影響です。共産党は「ウイグル人に近づくと殺される」とか「ウイグル人はみんなテロリストだ」と教えているんです。

人は教育によってつくられるのですから、日本は自国の悪い面ばかり教えるのでなく、もっと素晴らしい面を教えて、外国と対等に渡り合える人材を育てるべきです。

理由③

一国平和主義の

立場をとっていた

桐蔭横浜大学大学院教授 ペマ・ギャルポ

1953年チベット・カム地方生まれ。65年来日。80年ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表などを経て、現職。モンゴル大統領顧問なども務める。著書に『中国が隠し続けるチベットの真実』(扶桑社新書)などがある。

【地域データ】

チベット自治区

自治区への編入時期:1965年

人口:2740万人(チベット族93%、漢族6%、その他1%)

平和な独立を保っていたチベットの状況が一変したのは、第二次大戦後の1949年に、中華人民共和国が成立して以降のことです。

チベットでは仏教が尊ばれ、僧侶は哲学や医学などにも精通するエリート。1つのお寺に何千、何万という信者がいて、政治、経済、文化などあらゆる分野に強い影響力を持ちます。

そこに目をつけた中国は「キリスト教=帝国主義者から仏教を守る」と言って、無理やりチベットに侵攻してきました。そして途中から、「封建社会から人民を解放する」と言い始め、地主、貴族、豪族をやり玉に挙げ、「あなたたちの生活が苦しいのは、こういう人たちがいたからだ」と民衆の嫉妬や憎悪をあおり、次々と処刑していったのです。

宗教を貶め、社会を壊す

中国が次に標的にしたのは、ダライ・ラマ法王を頂点とする僧侶たちです。「宗教はアヘン」として、当初チベット全土に7千あったお寺の9割を破壊。人口の5人に1人が僧侶でしたが、侵略の過程で僧侶の9割以上が死亡、強制的に還俗、国外逃亡を余儀なくされました。僧侶を縄で絞め殺すのに仏像を重石に使ったり、民衆の前で汚物を食べさせるなどして、民衆が僧侶に抱く尊敬の念を奪い、チベット社会を破壊したのです。

これは民族の大虐殺です。国際司法委員会も中国を告発していますが、1950年から84年までに虐殺で亡くなったチベット人は120万人を超えると言われています。

現在、チベット自治区では、法王の写真を持つことすら禁止されていますし、許可なしに5人以上が集まった場合は「集会」とみなされ、当局の裁量で処分されます。基本的人権はもちろん、思想、言論、出版、結社などあらゆる自由がありません。

平和を望むだけでは

平和にならない

あえて、チベット側の反省点を挙げるとすれば、17世紀以降、鎖国政策をとり、「仏教を強く信仰し、平和を望んでいれば、平和になる」と、一国平和主義の立場をとっていたことでしょうか。

歴史を振り返って感じるのは、戦争への備えがあれば、お互いにある程度緊張状態にはなるけど、簡単に手は出せないということです。戦争をしたくないのであれば、むしろ戦争の準備を行うべき。国が衰退したり、滅んだりする過程において、戦争よりも「平和」がその要因になっていることが多いのです。

もう一つ、遊牧民であるがゆえに、近代的な国家意識が希薄だったことがあるかもしれません。元々、人間が線を引いて国境をつくるなんていうのは西欧的な発想であって、チベット人が考える国境は山や川、文化でした。長い間、鎖国をしていた影響で、近代国家という概念を理解するのが遅かったのです。

ヤクザには

それなりの対応が必要

チベットへの侵略を含め、中国が他国を侵略する手口は、主に3段階に分けられるように思います。

まず、敵の中に味方をつくります。イデオロギーや階級、ときには「平和」を唱えるなどして、自分たちに協力してくれそうな勢力に、金や地位などの「アメ」を与えます。

次にやることは、その国に存在する「力」を利用することです。中国は他の何よりも「力」を信じている。ある雑誌の調査で、中国人が尊敬する日本の首相の第一位は小泉純一郎氏という結果に驚きましたが、彼らは良くも悪くも「強さ」を評価するのです。

そして3つ目は、「撹乱・分離」です。自分たちに脅威になる存在は、外交、経済、軍事などあらゆる力を使って、国同士、政党同士の関係を悪くさせます。

以前、靖国神社で花見をしていたとき、友人が隣のヤクザのブルーシートを踏んでしまったことがあります。そのとき、ヤクザが「謝れ!」と怒鳴って、友人は謝った。そしたら今度は、「土下座しろ!」と言ってきた。私は頭にきて、「謝ってるだろう!」とヤクザの足を思い切り踏んづけたんです。そうしたらヤクザは驚いて黙ってしまいました。

国家間の関係というのも、これに似ていて、ヤクザのような態度をとる相手には、それなりの対応が必要なのです。

理由④

目先の利益のために

中国を招き入れた

中国民族問題研究会代表 殿岡昭郎

(とのおか・てるお) 1941年栃木県生まれ。慶応大学大学院法学研究科博士課程修了。駒沢大学講師、東京学芸大学助教授などを歴任。その後、約20年にわたりタイに居住し、インドシナ難民支援活動に従事。著書に『尖閣諸島灯台物語』(高木書房)などがある。

私は中国に侵略された3民族の支援活動を行っていますが、日本人に警鐘を鳴らす意味で、あえて「侵略を許した理由」を分析してみます。

まず内モンゴルですが、ある時期から王族・貴族が、満州族や漢族に遊牧地を切り売りして金儲けを始めました。目先の利益のために、彼らを招き入れた結果、民族の生業である牧畜業が成り立たなくなった。

ウイグルは、シルクロードに代表されるように民族間の交流が激しい地域で、近代以降も国家意識の形成が十分に成熟しないまま、国際政治に翻弄されたと言えます。

チベットは、ダライ・ラマ13世が、近代的な官僚機構や軍隊の整備、国際連盟への加入などを目指しましたが、既成勢力である貴族や僧侶が反対した。連盟に加入して国家として広く認知されていたら、人民解放軍の侵入はなかったかもしれません。

もちろん、周辺国が国際会議で勝手に物事を決めたことなど、同情すべき点はたくさんあります。でも、国際社会は厳しいもので、一度決まったことを変更するには、当事国は気が遠くなるほどの努力や時間を費やさなければいけません。

難民キャンプでは

強奪や人身売買が横行

私は40代の頃、タイ国境の難民キャンプを訪れました。そこには、ベトナム戦争で共産主義勢力に国を追われたベトナムやラオス、カンボジアなどの人々がたくさんいました。

キャンプは、国連や地元の軍隊が警護し、食料や物資などの人道支援もありましたが、それは日中の話。夜には、公然と食料や金品の強奪、物資の横流し、麻薬、人身売買、強姦が行われ、かつての王族や政府・軍の高官など、老若男女が無差別に被害に遭う。驚くことに、加害者の多くが昼間は警護をしている警察や軍隊でした。

「国が滅びることは、どれだけつらいか。国民はどれだけ苦しむか」ということを嫌というほど思い知らされました。

今、多くの日本人は、国家の大切さを認識せず、「ボーダレス経済」と言って、商売さえ上手くいけば国家なんて関係ないという風潮があります。

でも、現実は国家単位で政治が行われ、国家がなければ政治に参加することも、自分たちの意思を反映することもできません。3民族の人々が、声を枯らして「自分たちの国がほしい」と叫ぶ意味を理解すべきです。

国家は主張し、議論し、

ときには対立する

尖閣事件をはじめ、最近の民主党政権の外交姿勢を見ていると、「日本は本当に独立国家か?」と感じます。すべての物事を中国の顔色をうかがいながら決めている。外国に対して何も言えない政府は、独立国の政府として資格を欠いています。

もちろん、日中友好は大事ですが、国として譲れないことがあれば、主張し、議論し、ときには対立しなければいけない。それが独立国家の姿です。

それは個人も同じ。友人と仲良くしたいけど、意見の食い違いや利害の対立がある。そのとき、自分の主張を通すか、相手の意見に同調するか。

尖閣事件でも、民主党政権は中国に対し、堂々と「国際司法裁判所に提訴しよう」と言えばいい。中国は彼らの領土であることを示す証拠がないので絶対に乗ってきません。しかし、そのやり取りをオープンにすれば、世界に日本の正しさを示せる。それが外交というものです。

厳しい話になりましたが、私は日本の未来を悲観していません。日本にもまだまだ人材がいるはずです。幕末の人口や情報伝達手段と比べたら、現在、坂本龍馬のような人物が100人出てもおかしくない。国民一人ひとりが、「国を支えるのは自分だ」という気概を持って、それぞれの立場で国難に立ち向かえば日本は大丈夫です。(談)

日本は悪に屈しない

「サムライ精神」を取り戻せ

侵略を受けた地域の人々には同情を禁じ得ない。だが3氏が挙げる、中国に侵略された主な要因を現代の日本への教訓としたい。それは次の3点だ。

「政治的、軍事的な力が不足していた」 (内モンゴル)

「国際情勢の知識が不足していた」 (ウイグル)

「一国平和主義の立場をとっていた」 (チベット)

この3つの要因はいずれも、現在の日本の状況と重なるのではないか。民主党政権は昨年9月、尖閣諸島沖事件で、「政治的な力不足」で中国の恫喝に屈して中国人船長を釈放した。

また、沖縄の米軍普天間基地についても、中国・北朝鮮に対する抑止力になっているにもかかわらず、「国際情勢の知識不足」から「県外移設」と言ったり、結論を先送りして日米同盟に亀裂を入れている。また、中国が軍事大国化する中でも憲法改正論議が盛り上がらない現状が「一国平和主義」を象徴している。

「経済一辺倒」で国が滅ぶ

3民族を支援する殿岡昭郎氏も、侵略された要因について、「目先の利益を求めた」と指摘するが、これも、中国との経済的なつながりを気にし過ぎて主張すべきことを主張しない今の日本と重なる。

この「国防よりも経済優先」という意識は日本国民の多くが漠然と共有しているが、その基をたどれば、やはり「吉田ドクトリン」に行き着く。

戦後、冷戦構造が生まれ朝鮮戦争が起きる中で、米国は日本に再軍備を求めたが、当時の吉田茂首相は応じず、軍事費をかけずに経済復興を目指す「吉田ドクトリン」を打ち出し、国防を米国に依存。この考え方が戦後の日本を形作ってきた。

だが、経済一辺倒になれば国が滅亡することは、歴史が証明している。紀元前146年、地中海の通商国家カルタゴ(現在のチュニジア)は、ひたすら金儲けに邁進した結果、ローマ軍によって滅ぼされた。

またその300年ほど昔にも、貿易で隆盛を誇ったミロス島(現在のギリシャ)がアテネ軍に滅ぼされたが、ミロスの人々は「営利心と愛国心は反比例する」「国家が武装すれば交易相手国に覇権の疑心を与える」と考え、非武装中立を貫いていたという。

「根本は人間としての胆力」

こうして見ると、3地域のみならず、古代のカルタゴ、ミロス島の滅亡要因も現代の日本に当てはまる。このままでは日本も亡国の道を歩みかねないが、そうならないためには、国家指導の理念とも言うべき「日本外交の鉄則」を固める必要がある。

外交の鉄則とは、とりもなおさず、先に挙げた国が滅ぶ理由を裏返したものとなろう。

つまり、政治力・軍事力の強化、十分な国際情勢の知識、空想的な平和主義から国防の裏付けのある平和主義への転換、経済優先思想からの脱却──等々である。

自国の立場を毅然と主張する外交力が政治力となるが、その外交の担保は軍事力である。国を守る国防体制を整えてこそ、初めて対等の外交が成立する。

国際情勢は刻一刻と変化しており、その中で日々国益を守る判断を積み重ねていくには、日本の置かれた状況を絶えず敏感につかむセンスが必要となる。

その上で、国力を高め、侵略されないだけの国防体制を整えなければいけない。たとえ経済が弱っても国防が整っていれば侵略を阻止できるが、経済優先で国防を疎かにすれば容易に侵略を許してしまう。

日本外交の鉄則 サムライ国家の気概を示せ
著者 大川隆法
定価 1,260円(税込)

そして結局、こうした外交の鉄則は指導者の資質に負うところが大きい。大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は、次のように指摘している。

「『悪には決して屈しないこと』『侵略に対しては事前に準備をすること』『サムライ精神を取り戻すこと』『正論は譲らないこと』等々、大切な外交の鉄則は数々ある。しかし、根本は人間としての胆力である」 (『日本外交の鉄則』幸福の科学出版)

今こそ日本は、正論を譲らず、悪には屈しない「サムライ精神」を取り戻すべきだ。