2014年11月号記事

第27回

釈量子の志士奮迅

世の中は変えられる!

釈量子

(しゃく・りょうこ)幸福実現党党首。1969年東京都生まれ。國学院大学文学部史学科卒、大手企業勤務を経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。

2013年7月から幸福実現党党首。

釈量子のブログはこちらでご覧になれます。

http://shaku-ryoko.net/

因果はめぐる――戦後70年を前に「正しさ」を考える

東京・築地の朝日新聞東京本社
写真:東洋経済/アフロ

朝日新聞は8月初め、吉田清治氏の「軍の命令で慰安婦狩りをした」という嘘の証言に基づく報道を、32年ぶりに取り消すという記事を掲載しました。

韓国が主張してきた「従軍慰安婦問題」の焦点は、日本が国の方針として慰安婦を強制連行したかどうかです。この問題にまつわる記事の一部の取り消しで、世間に衝撃が走りました。

しかし、その訂正記事には謝罪の言葉がなく、「女性の人権侵害があった事実は変わらない」と開き直るような主張さえ見られました。その後、朝日新聞は、社会の厳しい追及を受けます。

その矢先の9月11日、同社は福島第一原発事故における「吉田調書」に関する誤報について、謝罪会見を開き、木村伊量社長は辞任を示唆しました。

戦後、最も大きな影響力をもっていた朝日のブランドが、音を立てて崩れようとしています。

あらゆる「常識」が検証される時代

この朝日の"総括"は、日本にとっても、大きな転換点です。 大川隆法・幸福実現党総裁は2年前の著書『国を守る宗教の力』の中で、「メディア界は、これから、どんどん潰れていくような、非常に怖い時代に入っていくので、『何が正しいのか』ということが、とても大事になってきます。今後、マスコミは、きれいごとや嘘を言って生き延びることができなくなるでしょう」と指摘していました。

人々の情報をコントロールして政治を動かし、「第四権力」とまでいわれたマスコミの雄である朝日。それがあっという間に崩落していく様子は、「真実」の前に、どんな偽りの勢力も崩れていく時代が来ることの象徴に見えてなりません。

これを機に、国内外の様々な「常識」が検証される流れが起こるのではないでしょうか。

政治家も「何が正しいか」を問われる

釈量子の守護霊霊言

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目からウロコ! 幸福実現党の新党首の秘密

大川隆法著

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猛女対談

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腹をくくって国を守れ

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幸福実現党、かく戦えり

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革命いまだ成らず

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1,080円(税込)

マスコミのみならず、国のリーダーにも「何が正しいのか」の判断が問われる時代です。

韓国が主張する「従軍慰安婦問題」は、誤解を恐れずに言えば、「高級取りの元売春婦が日本政府に金をせびるのを、政府が女性の人権問題に昇華させた、壮大な詐欺」です。

中国も、民主運動家やウイグルなどの自治区では苛烈な弾圧を行っているにもかかわらず、臆面もなく「日本軍は残忍だった」と罵倒し、中国国内のテレビは毎日のように、安倍政権を「軍国主義」と批判しています。南京大虐殺に関しても、史実と矛盾する歴史を捏造。関連資料をユネスコ記憶遺産に登録しようとしています。

そこには、「言った者勝ち」と言わんばかりの、自分たちの悪事を正当化したいという考えや、謝罪させる中で相手から賠償金を引き出そうといった邪な考えさえ、透けて見えます。

しかし、彼らの嘘はどのような形であれ、必ず白日の下にさらされます。仏教が「因果応報」という真理を教えているように、偽りの正義が通用することは絶対にありません。

同じことは、日本の政治家にも言えます。安倍政権は、戦後70年を前にして、終戦の日に靖国参拝もできず、「河野談話・村山談話」の見直しさえできていません。選挙の票や世間の評価、党内の意見調整など、様々なしがらみで本心を表に出せないのでしょう。

しかし、いつまでも「ごまかし」を続けていれば、他国に言いがかりをつけられ、最終的に領土や主権を奪われかねません。やはり、政治家が目先の損得を超えて、「何が正しいのか」を明らかにし、信念の下に行動することが求められます。

日本の政治家も、「正しさを求めた者が、最終的に栄える」という意味での「因果応報」を信じるべきです。

一人ひとりが正しさを求める

しかし、「あくまで国を創るのは、一部の政治家だけではなく、国民一人ひとりだ」という原点も、忘れてはいけません。

私たち一人ひとりが自分の頭で、戦後につくられた様々な歴史や常識について、「何が正しいのか」を問うこと。それがあって初めて、日本の政治も「正しさ」に向かうものとなるでしょう。そして、そうした姿勢こそ、国際社会に「正義とは何か」を問いかけることになります。

私自身も、損得を超えてひたすらに、「歴史において何が真実か」「政治において何が正義か」を求めていきたいと思います。