教員免許の必要性について、考えさせられる事件が起きた。

長野県の私立小中一貫校「才教学園」で、中学校の免許しかない教員が小学校の学級担任をしたり、免許を持たない外国人が単独で中学校の英語の授業をしていたことが問題となっている。同校の校長と前教頭は近く書類送検される見込み。県は同校が申請していた高校の設立申請を取り下げたほか、昨年度までに交付された6億1000万円の補助金についても返還を請求することを検討中だ。

この学校は2005年にできた学校で、小学校1クラス15人程度、中学校1クラス20人程度の少人数学級で、県立有名高校への進学率も高い。同校の教育に対する保護者の信頼は篤く、教員免許の問題が発覚した後、保護者は「教育環境の維持を」という嘆願書を県知事に寄せた。

同校校長は、「免許よりも人材。人物重視で採用してきた」と発言している(16日付読売新聞)。ルールを踏み倒してよいとは言わないが、塾業界では、教員免許がない人でも人気講師になる例がいくらでもある。

「いつやるか? 今でしょ」のセリフで有名な東進ハイスクール現代国語担当の林修氏は、東京大学法学部出身で日本長期信用銀行に入社したが、その後退社して塾講師になったという異色の経歴を持つ。

その教師の授業や指導が生徒にとってメリットになるかどうかは、教員免許の有無が決めるものではない。教員免許を持たない教師でも、創意工夫に務めている優秀な教師であれば人気が出るし、免許を持っていても問題のある教師は児童・生徒や保護者からの評判が悪くなる。結局は、市場原理に任せることで、もっとも「正直な」評価が出てくるのだ。

民間企業の実務経験がある人材が学校の教員になることの利点は、児童・生徒や保護者は「顧客」であるという意識が生まれることだ。学力向上を目指しての企業努力が進むことはもちろんのことだが、それだけではない。たとえば、学校でいじめが起きた時、それを隠蔽することは、民間企業であれば顧客や社会の信頼を失い、会社の存続をも危ぶまれる事態に相当することが分かるだろう。民間の視点が入ることで、かえって生徒指導や情報開示が進むことも期待できるのだ。

結局、現在の学校教育を改革するために必要なのは、民間企業では当たり前の「顧客の視点」にある。

今後は規制を緩和し、教職員免許を持っていなくても、教育者として優秀な人材は教壇に立てるようにすべきだ。閉鎖的な教育界を開放し、外部の目を入れることで教育改革を進めるべきである。(晴)

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幸福の科学出版 『教育の使命』 大川隆法著

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