写真:ZUMA Press/アフロ

2019年2月号記事

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著者Interview

稲盛氏の側近が語るJAL再建の裏舞台

日本航空(JAL)は2010年1月、戦後最大の約2兆3千億円の負債を抱えて倒産した。
だが1年後、1800億円という過去最高の営業利益を上げ、2年後に再上場を果たす。
京セラの創業者・稲盛和夫氏と共に、JAL再建に尽力し、このほど、その軌跡を記した「副官」に話を聞いた。

日本航空元会長補佐

大田 嘉仁

プロフィール

(おおた・よしひと)1954年鹿児島県生まれ。78年立命館大学卒業後、京セラ入社。90年米ジョージ・ワシントン大学ビジネススクール修了(MBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、2010年日本航空会長補佐・専務執行役員に就任(13年退任)。現在、稲盛財団監事のほか、数社の顧問などを務める。1991年より京セラ創業者・稲盛和夫氏の秘書を務め、経営破綻に陥ったJAL再建時は、稲盛氏のサポート役として意識改革担当などを務めた。

JAL再建に着手して、まず問題だと感じたのは、「あまりにも一体感がない」という点です。

本社と現場、正社員と非正規社員、パイロットやキャビン・アテンダント(CA)、整備などの部門ごとが、どれもバラバラで別会社のようでした。

また、「正しい数字で経営する」という発想がないことに驚きました。会議でも、月次の実績が出るのに数カ月かかり、出ても概算のようなもの。幹部は「航空事業の利益構造は複雑なので、そもそも月次の達成状況を出して対策を考えるのは無理」という意識です。

半官半民だったJALが完全民営化されたのは1987年でしたが、再建時も「公共交通機関なのだから、利益が出ないのは当たり前」という考えが染みついていました。

経営破綻しているのに、部門ごとに1円でも多く予算を獲得し、全て使い切るためには不必要なものも買う、という官公庁のような文化。赤字に対して誰も責任を感じておらず、景気などの外部環境のせいにしたり、「現場が悪い」と言ってみたり、そんな状況が続いていたのです。