愛知県名古屋市のトヨタ産業技術記念館に展示されたG型自動織機。写真:読売新聞/アフロ

2018年12月号記事

不定期連載

創業者物語「初めの10年」

第1回

トヨタグループ  豊田佐吉

経営危機を何度でも乗り越える力

多くの企業は、「創業から初めの10年で潰れる」と言われる。

不況に見舞われ、販売不振に苦しみ、資金繰りに頭を抱える。

しかし、一部の経営者はそうした試練をくぐり抜けていく。

なぜそんなことができるのか。その秘訣を過去の事例から学ぶ。

1回目の挫折(20歳)

「何かお国のためになることをしなければ、せっかく男に生まれた甲斐がない」

豊田佐吉は子供のころからこう志していた。『自助論』を読んだことも影響した。この本には、身分の低い貧しい家の生まれの子が必死の努力を続け、ついには世界的な発明家になったという話がたくさん載っている。

佐吉は貧しい大工の子。その気になって発明家になる決意をした。ところが周囲の人は、真剣に夢を追う佐吉を笑った。

「書籍もなければ、先生もない。先生どころか、話し相手さえない。たまたま周囲の人の声がすると思えば、それは自分を謗る声であった。あざ笑う声であった。はては皆自分を狂人扱いにした」

思い悩んだ佐吉は、20歳の時に無断で家を飛び出し、大工仲間の友人と東京に向かった。目的は最先端の工場の視察だ。無断侵入をして何度も叱られながら、軍事工場などを見て回った。

大いに刺激を受けた佐吉が東京から戻って取り組んだのは、「無限動力の発明」だった。つまり、一度スイッチを入れたら永遠に動き続ける「永久機関」。子供の空想レベルのアイデアだ。当然失敗した。

しかし、佐吉の発明熱は冷めない。周囲のどの家にも手織りの織機があることに気づく。非常に非効率な方法で織っている。

「改良してもっと速く織れるようにすれば、安い木綿が買えるようになる。これほどお国のためになるものはない!」

そう考え、手近な織機の改良発明を志した。こうして佐吉は生涯の仕事に入った。無謀な発明は頓挫したが、それによって天命と出会ったわけである。

無謀な思いつきに邁進する

手近な目標に設定し直す

次ページからのポイント

2回目の挫折(21歳ごろ)

3回目の挫折(24歳)

4回目の挫折(25歳ごろ)

5回目の挫折(27~29歳)

6回目の挫折(31歳)

7回目の挫折(36歳ごろ)

8回目の挫折(44歳ごろ)

挫折の中でも志を失わない