広く「偉人」と称される人々は、献身的な妻に支えられていることが多いもの。しかし、そのような内助の功は、往々にして語られません。本欄では、そうした「妻」に焦点を当ててみたいと思います。

今回は、江戸末期に600以上の藩や郡、村の財政を立て直した、「江戸の最強コンサル」とも言える二宮尊徳(1787~1856年)の妻についてです。

実は、2度結婚していた尊徳

尊徳は「勤勉」の象徴として知られ、薪を背負いながら本を読む姿は銅像にもなって、現代でも親しまれています。

そんな尊徳ですが、幼いころから困窮する一家を支えるため、熱心に働きます。しかし、16歳で両親を亡くし、伯父である万兵衛の家に寄宿することに。自ら栽培した菜種油を使って勉学に励んだエピソードは有名です。

尊徳は20歳の時に伯父の下から独立。一度は売り払ってしまった二宮家の土地を買い戻し、生家を再興します。その後、藩や村を立て直すわけですが、その生涯を支えたのが妻の波(なみ)でした。