中東の憎しみの連鎖を断つには――国際政治にも「許し」を(Webバージョン) - 編集長コラム

中東の憎しみの連鎖を断つには――国際政治にも「許し」を(Webバージョン) - 編集長コラム

 

2015年4月号記事

 

編集長コラムWeb用ロングバージョン

 

中東の憎しみの連鎖を断つには

――国際政治にも「許し」を

 

「日本政府よ、お前たちは悪魔の有志連合の愚かな同盟国と同じだ」

 日本人人質を殺害した映像には、「イスラム国」によるこんなメッセージが音声で流れた。

 これに対し、イギリスのキャメロン首相は、「イスラム国は悪魔の化身」と批判。お互いが「悪魔」とののしり合う中で、戦争がさらに激しくなっている。

 中東での憎しみの連鎖を解決する道はあるのだろうか。まずは、あまりに複雑な中東の対立の構造をいくつかの要素に分けて考える必要がある。

(1)今も続く欧米の人種差別・植民地主義との戦い。

(2)原理主義化したイスラム教スンニ派とシーア派の宗派対立。

(3)イスラム教とキリスト教・ユダヤ教の宗教対立。

 

この3つの要素に分けて考えれば、解決策がある程度見えてくる。

 

 

(1)今も続く欧米の植民地主義との戦い

(1)の欧米による人種差別や植民地支配は過去のことのように思えるが、中東・アラブでは、今もその“遺産"を引きずっている。

 第一次大戦で中東・アラブを広く支配していたオスマン・トルコ帝国が敗れ、英仏など列強はトルコの旧領土を好き勝手に分割し、実質的な植民地とした。今のイラクやシリアなどの国境は、英仏が自分たちに都合よく引いたものだ。

 だから、イスラム国がイラクとシリアにまたがって独自の支配地域をつくろうとするのも、シリアの内戦も、欧米が意のままに引いた国境線を引き直そうという抵抗運動の意味合いが強い。このため今後、イラクやシリアやリビアなどはそれぞれ、宗派や民族ごとに2つか3つの国に分裂していく流れとなっている。

 欧米はこうした植民地主義の反省を正式に表明したことはない。第二次大戦後の中東も、植民地支配の性格は残り、欧米がバックアップする独裁政権の国がほとんどだった。その抑圧体制に対する異議申し立てが、エジプトなどでの「アラブの春」だった。

 少し古い話だが、1990年のフセイン大統領のイラクによるクウェート侵攻も、イギリスの行動に遠因がある。第二次大戦前にクウェートで石油が出るようになって、イギリスがイラクと切り離してクウェートを独立させた経緯があった。

 

 

日本の近代化が一つのモデル

 2003年からのイラク戦争で、米軍などによって殺されたイラクの民間人は40万人前後にのぼるという(アメリカの複数の大学による調査)。イスラム国は、昨年からの米軍などの空爆を受けて万単位の民間人の死者を出しながら、限られた武器で戦っている。日本にとっては不幸だったが、人質を取って欧米や日本を脅しているのもその一つだ。これは、日本がかつて米軍の空襲や原爆で何十万もの女性や子供たちが犠牲になり、本土決戦を竹槍で戦おうとしたことに近いと言える。

 中東での欧米植民地主義との戦いは、何らかの“独立"を勝ち取るまで今後何十年と続いていくだろう。その一つのモデルは、明治維新で近代国家をつくり、国の独立を守り、最後はアジア全域の植民地を欧米から解放した日本だ。

 さらに言えば、幕末はイギリス公使館を焼き打ちするなど「テロリスト」だったが、新政府では初代首相になった伊藤博文が、イスラム国の指導者にとっては“理想"と言っていいかもしれない。

 その意味で日本には、中東・アラブでの「近代国家づくり」に経済・技術支援などできることがたくさんある。

 

 

(2)原理主義化したスンニ派・シーア派の対立

(2)のスンニ派・シーア派の原理主義の問題は、実は第二次大戦後に起きてきたもので、そう古くはない。

 イスラム圏は西暦800年ごろの「アラビアン・ナイト」の時代は、哲学や数学、天文学などが発達し、最盛期を迎えた。しかし1500年代から下り坂に入り、大航海時代に入ったヨーロッパに逆転された。

 時代は下って第二次大戦後、中東・アラブに集中して原油が出るようになって、中世の栄光の記憶が蘇ったようだ。イスラム教として中世返りし、多くの宗派に原理主義が台頭した。

 サウジアラビアやイランはコーランやシャリーア(イスラム法)が憲法や法律のような位置付けで、人権や人間性を抑圧している。不倫は石打ちで死刑になるなどの残酷刑があり、イスラム教からの改宗自体も死刑になる。こうしたイスラムの前近代性は、最近ではサウジアラビアのイスラム法学者が「雪ダルマを作ることは偶像崇拝にあたり禁止」という見解(ファトワ)を出して話題になった。

 この原理主義の問題は、イスラムの二つの宗派スンニ派、シーア派の両方にあり、サウジアラビア対イラン、イスラム国(スンニ派)対イラク現政権(シーア派)などの対立を先鋭化させている。

 この延長上にイスラム過激派がある。パキスタンとアフガニスタンにまたがるタリバンは、ノーベル平和賞のマララさんを銃撃。ナイジェリアのボコ・ハラムは学校に通う少女らを誘拐している。

 こうしたイスラム世界の不幸が広がるのを止めるには、イスラム教の細かな縛りを取り払い、個人の「自由」を認めるしかない。

 

 

イスラム国で「自由」が認められるのはこれから

 キリスト教の場合も、個人の人権や自由が認められるようになったのは、1600年代になってからだ。イスラム教は誕生してから約1400年だが、キリスト教はその頃は魔女狩りや異端派弾圧の真っ盛りで、数百万人から1千万人が犠牲になっていた。これに比べればイスラムの過激さはまだ「穏健」なのかもしれない。その後、ヨーロッパはカトリックとプロテスタントの宗教戦争に突入。戦争に嫌気がさして、「信教の自由が大切だ」ということになった。

 信教の自由は、「少数派が語る言葉にも神の心の断片が宿っている」という思想。つまり少数派に対する寛容の精神のことで、ここから思想・信条の自由、言論・出版の自由、集会・結社の自由、学問の自由、政治活動・経済活動の自由といった「自由権」が認められていった。

 そう考えれば、イスラム圏で信教の自由など自由権が確立されるのは、まだまだこれからだと思っておかなければならない。

 ただ、それを先駆的に20世紀初めに実現したのが、トルコ建国の指導者ケマル・アタチュルク大統領だ。アタチュルクは「父なるトルコ人」という意味で、議会が贈った尊称。今も国民の尊敬を集める「国父」である。

 

 

「トルコ革命」が一つの解決策

 第一次大戦に敗れたオスマン・トルコ帝国は、イギリスなど列強によって解体されようとしていた。そこにケマルが彗星のように登場した。独立戦争を戦ったうえ、開祖ムハンマドの後継者である宗教指導者(カリフ)と同時に、世俗の最高権力者でもある皇帝(スルタン)を倒し、宗教支配を終わらせた。

 シャリーアや国教制を廃止するなど政治からのイスラムの分離を徹底。イスラム法学者が政治に口を出すことがなくなり、国民生活や経済活動で個人の「自由」が認められるようになった。

 かといって、トルコ国民の99%はイスラム教徒で、宗教心が薄れているわけではない。イスラムの普遍的な教えは残しながら、中世の古い風習に基づく部分を間引くことができた結果だと言える。

 この「トルコ革命」が(2)の問題の解決策だ。これで初めてイスラムの前近代性を乗り越え、現代社会と未来社会に適応できるようになる。

 中東の厳格なイスラム教に住む男性はこう語る。

「イスラム世界には改革が必要です。それは、現代的な生活に合わない古い教えを捨てることです。イスラム教は、中心的な教えと、中世のアラブに必要だった教えを分けるべきです。過去の砂漠での原始的な生活様式に執着すべきではありません。新しい考え方の下で、今の時代の早い動きについていくべきでしょう」

 

 

(3)イスラム教とキリスト教・ユダヤ教の対立

 中東の紛争でまずイメージするのは、(3)のイスラム教とキリスト教・ユダヤ教の宗教対立だろう。

 3つの宗教はみな一神教だから対立するしかないのかというと、そんなことはない。お互い「兄弟宗教」で、「同じ神を信じている」という認識はある。ユダヤ教の神も、キリスト教の天なる父も、イスラムのアッラーも同じ存在だ。

 

 

 問題は、一神教と言いながら、実は信じている神が複数いる点にある。中東・アフリカで広く信仰を集めた普遍的な神とユダヤの民族神が一緒になってしまっている。旧約聖書を読むと、「主」と表記されるヤハウェと、「神」と表記されるエローヒムは明らかに正反対の個性だ。

 ヤハウェは「(異民族を)主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさなければならない」(申命記1:2)と命令する戦闘的な神。エローヒムは「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記9:73)と導く愛の神。キリスト教は旧約聖書も正典なので、ヤハウェの“思想"を受け継いでいる。

 コーランもヤハウェの影響が強く、「多神教徒どもを見つけ次第殺せ」(第9章5節)などと、異教徒の殲滅をよしとする箇所がある。

 3つの宗教の対立・紛争は、ヤハウェの激しい戦闘性や復讐心に原因があるのだ。

 その意味で、イスラム教だけではなく、3つの宗教とも宗教改革が要る。祟り神的なヤハウェの影響を取り除き、愛の神エローヒムにどうやったら一本化できるか。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、3つの宗教の創始を天上界から導いた至高神(エローヒム、アッラー)としての自覚を持ち、その秘された本来の名がエル・カンターレであることを明らかにした。復活の愛の神の教えは、世界のイスラム教国にも広がりつつある。

 キリスト教の宗教改革は14~15世紀。ウィクリフやフスらが「聖書回帰」を求めて立ち上がり、16世紀以降のルター、カルヴァンに引き継がれた。ルターは「教典のみの宗教」を主張して聖書をドイツ語訳し、カトリックの聖職者だけが持っていた聖書の解釈権を一般の信者にも開放した。

 これと同じように、イスラム法学者が持つイスラム教の解釈権を“自由化"しないといけないということだろう。それを訴える宗教改革者の出現とそれを信じる人たちの広がりが、イスラム教改革の出発点となる。

 イスラム教などの改革が起こり、3つの宗教の対立・紛争を解消するのは、100年以上かかる大事業になるだろう。

 

 

復讐の連鎖を断つ「許しの力」

 このように中東での憎しみを消し込む道は、ある程度描くことはできる。中東各国の近代化、政治改革(政教分離)、イスラム教改革の3つがその方向性だ。ただ、問題は、長ければ数千年にもわたる憎しみを解きほぐすことなので、言うは易く、行うは難しだ。

 20世紀の哲学者アーレントは、人間集団が復讐の連鎖から抜け出すためには、「許しの力」が欠かせないと指摘した。

 間違いや罪を犯し、人に害を与えることがないという人間はいない。そのままなら、憎しみが膨らみ、復讐が延々と続く。

 アーレントは一方で、人間は一人ひとりが唯一の存在であり、地上で生きる中で新しい価値が世界に持ち込まれることに幸福があると述べている。人間はこの世に生きた証を後世に遺すという「活動」の中で、幸福感を味わえるという考え方だ。アーレントは、人間は予想もできないことや不可能なことが為し得るとして、「『活動』は人間の奇蹟創造能力である」と語っていた。

 しかし人間関係が憎しみと復讐の関係だけになってしまうなら、幸福への道が閉ざされてしまう。

 これを回避するには、「許しと放免が必要であり、人びとを、彼らが知らずに行った行為から絶えず赦免しなければならない」と説いた。そして、「人間は、常に自ら進んで自分の心を変え、ふたたび出発点に戻ることによってのみ、なにか新しいことを始める大きな力を与えられるのである。この点で、許しは復讐の対極に立つ」と強調した(主著『人間の条件』より)。

「許し」によって人類は復讐から自由になり、何度でも再出発することができる。

 

 

リンカンとガンジーの「許し」

 実際、過去に有色人種への人種差別主義を乗り越えたケースはどれも、「許しの力」が不可欠だった。

 リンカンは南北戦争のさなか、敵である南部に同情的な発言をしたところ、聞いていた婦人に「どうしてそんなことを言うのか」と問いただされた。リンカンは「敵を友に変えたら、それは敵を滅ぼしたことになりませんか」と答えた。イエスの「汝の敵を愛せよ」の教えを徹底的に実践したからこそ、分裂しかかった国を再び一つにまとめることができた。

 アーレントは、「許しを説くイエスの教えに含まれている自由というのは、復讐からの自由である」と述べている(『人間の条件』より)。マタイによる福音書にあるように、イエスは「汝の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」(5:44)と説き、人の罪に対しては「七の七十倍までも赦しなさい」(18:22)とまで語っている。この教えをリンカンはその命をかけて実践し、アメリカは「再出発」を果たすことができた。

 非暴力運動によってインドを植民地化していたイギリスと戦った独立の父・ガンジーは、「イギリス人が敵なのではありません。彼らの考え方が敵であり、問題さえ解決すれば、必ず良き友人になれます」と語っていた。

 ガンジーの非暴力主義は、ヒンズー教の不殺生の教えと、キリスト教の「許し」の教えに基づくものだという。インドの人種差別と植民地支配に対する戦いは、ガンジーの「許し」の精神が平和裏の勝利をもたらした。

 

 

「愛は敵を友に変える唯一の手段」

 1950~60年代アメリカの公民権運動の指導者キング牧師は、ガンジーの非暴力主義にならい、黒人解放を成し遂げた。

 キング牧師は、教会が爆弾で壊されたり、子供たちまで暴力事件に巻き込まれたりするさなかの1963年の説教で以下のように語りかけている。やや長くなるが引用したい。

「『敵をも愛する』ことこそ、世界の諸問題を解決するカギです。……人を赦す行為は、虐待された者、損害を受けた者、不正を受けた者、虐げられた者から、始められなければなりません」

「私たちは現代世界にあって、大きな行き詰まりに直面していないでしょうか。憎しみは憎しみを生み、戦争はより大きな戦争を生む悪循環が起こっています。これは『敵を愛する』という愛の実践行為によって、断ち切らなければなりません。そうでなければ、私たちはいずれ、絶滅という暗黒の奈落の底へ落ちていくに違いないのです」

「『なぜ私たちが自分の敵を愛すべきなのか』という第三の理由は、愛は敵を友に変え得る唯一の手段だからです。……憎しみは、そもそもその本質からして、破壊と分裂をもたらします。一方、愛はその本質からして、創造し、建設します。愛はその贖罪的な力によって、世界を変え得るのです」

「人種的不正義という暗黒は、ただ赦しの愛の光によってのみ追い払われるのです。……私たちは、愛する権利と義務を放棄してはなりません。人種差別を嫌悪しつつ、一方では人種差別主義に陥っている人々を愛するのです。このことこそ、愛に満ちた社会を築く唯一の道なのです」

「私たちは、私たちに悪事をもって挑んでくる敵対者に対して、次のように宣言しましょう。私たちは苦難を負わせるあなたがたの力に対し、苦難に耐える私たちの力をもって対抗します。あなたがたは、私たちにしたいことをすればよいのです。私たちは、あなたがたを愛します」

「愛の創造的な力は、人類の平和と安全を確保する、最も強力な手段となるものです」

 

 

「許し」を社会変革の力に

 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)と闘い続けたネルソン・マンデラも、「許し」の人だった。

 27年間の投獄後、94年に初の黒人大統領に就任したマンデラは、白人を憎悪し復讐心を燃やす黒人たちを説得し、白人が過去の犯罪行為や人権侵害をすべて告白すれば罪に問わないことを決め、実行した。その信念は、キリスト教信仰に基づくものだった。

 アーレントの言うような「許し」を個人的な人間関係だけではなく、社会を変革する力にまで高められる人物の登場が、今も残る人種差別・植民地主義に終止符を打つだろう。

 イエスの説いた「汝の敵を愛せよ」という許しの教えは、どんな人も神が創られた神の子であるという思想だ。それは仏教の転生輪廻の教えをもとにした「許し」にも通ずる。

 大川隆法総裁は、法話「『太陽の法』入門」で、人を許す境地についてこう述べている。

「この境地に至るためには、基本的に、『それぞれの人間には、仏の性質としての「仏性」、別の言葉で言えば、神の性質としての「神性」が宿っている』ということに目覚める必要があります。

 そうすると、『自分と同じく、仏性、神性を持っている人たち、つまり、努力することによって悟りを得られる可能性を持つ人たちが、同時代に、この地上に生まれて、魂修行をしているのだ。みな、いろいろな苦難・困難のなか、ハンディのなか、障害のなかを、苦労しながら努力して、魂修行をしている仲間なのだ』というところまで分かるようになってきます。

 あるいは、『天上界において魂として存在していたものが、同時代に、肉体を持って生まれ、一緒に生きている。そして、いずれ、あの世に去っていくのだ』という気持ちになります」

 大きな転生輪廻の枠組みのなかで魂修行をしているという観点を持ったとき、「許し」の心が生まれてくる。

 

 

戦後日本のアメリカに対する「許し」

 日本の先の戦争もまた、欧米による人種差別と植民地支配に対する戦いだった。アメリカに敗れたとはいえ、戦前は50カ国程度だった世界の独立国が、戦後は190カ国以上になったことから見れば、先の戦争がアジア・アフリカの解放戦争であったことは明らかだ。

 日本はアメリカ軍にほとんどの大都市が空襲を受け、広島・長崎では原爆が落とされた。数十万人の民間人の犠牲者を出した人類史上有数のジェノサイドだったが、戦後の日本人は、アメリカに対し恨みを持ち続けることはなかった。むしろ、アメリカのような豊かな国になるために努力し、それを達成した。

 中東のある国のイスラム教徒は、戦後の日本の歩みについてこう指摘する。

「戦後の日本は、憎しみに対し憎しみで応えませんでした。(原爆を落としたアメリカの)トルーマン大統領は日本人を“動物"扱いし、数限りない日本人の血が流れました。しかし日本は、今のイスラム教国と違い、アメリカに対し憎しみを向けず、日本の発展のために努力し、経済大国になりました。イスラムの国々は日本から学ぶべきものがあると思います」

「許し」の力という点では、戦後の日本もイスラム圏にとって一つの見本となる。

 

 

トルコ革命での「許し」

 先に触れたトルコ革命の指導者ケマル・アタチュルクは、皇帝や皇族を一夜にして国外退去させるなど、苛烈で独裁的なことをやったので、「許し」と対極の「復讐」の人だったようにも見える。だが、ケマルの行動を見ると、必ずしもそうではないようだ。

 オスマン帝国の皇帝メフメト6世は第一次大戦の敗戦後、自分の地位と財産を維持することを引き換えに、イギリスなどが領土を切り刻むことを認めた。皇帝の財産の一つは3千人もの宮女がいるとされるハーレム。これらを守るために外国の言うことは何でも聞き、国民のことは顧みないという堕落ぶりだった。

 第一次大戦の多額の賠償金ばかりか、トルコ政府の予算を英仏などが共同管理することまで認めてしまい、自国の財政についての自主性がまったくなくなってしまった。

 これに対し、ケマルは、政治や経済活動を縛るイスラム権力を切り離すことで、国民が豊かさや幸福を追求できるようになることを求め続けた。政治改革の後は経済改革に移り、さまざまな工業を興し、農業も農産品を輸出できるまで成長させた。イスラム教の国教制を廃止した1928年から、アタチュルクが大統領在職中に亡くなる1938年までの10年間で、トルコの人口は300万人増え、国民が一定の豊かさを実感できるようになったという。

 ケマルが目標としたのは、東洋で初めて近代国家をつくり、強国ロシアを破った日本。執務机に飾った明治天皇の御真影を前に、自分が突き進める革命や独立戦争が「明治維新や日露戦争のようになるだろうか」と自問自答したという。

 ケマルは最後まで「独裁者」ではあったが、主権在民を理想とし、民主化移行をいったんは試みたこともあった。しかし、国民の側がついていけず、一党独裁体制に逆戻り。それでも、選挙がないのに全国を遊説し、改革の意義や目的を説明して回った。

 ケマルの時代から100年近く経っても、トルコほど世俗的な政治体制をとるイスラム教国はない。それだけ大きな「革命」をやれば、多くの国民の血が流れてもおかしくないが、犠牲となったのはクルド人の反乱鎮圧の約1千人が最大。「無血革命」と言われる明治維新でも、戊辰戦争と西南戦争だけで2万5千人以上が死んでいるので、ケマルも「許し」の心が強かったと言えそうだ。

 

 

「許しの力」と「約束を守る力」

 アーレントは、過去の人間の行為は元に戻すことができないが(不可逆性)、「許し」によって再び「始める」ことができると語っていた。

 と同時に、人間の未来は不確実で、どうなるか分からないという「予言不可能性」ということにも触れていた。

「不可逆性」から人間を救うのが「許し」。未来に何が起こるか分からないから人間が立ちすくんでしまうという「予言不可能性」から救うのは、「約束をし、それを守る力」であるとした。

 ここで言う「約束」とは、自分たちの社会の未来を自分たちで決めるため、政治参加する共同体を創り出すことを指す。例えば、アーレントが「自由の創設」として高く評価していた、アメリカの独立宣言や憲法制定がそれにあたる。

 アタチュルクが「トルコ革命」で新しい憲法をつくり、国民が自分たちで国の未来を創っていけるようにしたのは、まさに「約束をし、それを守る力」による政治体制の改革だった。

 

 

神の裁きを恐れるイスラム教徒への「許し」

(3)のイスラム教そのものの宗教改革は、幸福の科学の教えに出会ったイスラム教徒の心の中ですでに始まっている。

 改宗したら死刑になる中東のあるイスラム教国の20代の男性はこう語る。

「私は、アッラー、エローヒムとエル・カンターレが実は同じだと聞いてとても驚きました。そして、真実の愛の教えがどのようなものかよく理解できました。私はエル・カンターレの教えが真実の神の教えであることを学ぶことができ、とてもうれしいです」

 シンガポールに住む30代のイスラム教徒の男性は言う。

「創造主は名前が何であれ、同じということです。私たちは、(イスラム教もキリスト教も)一つの根源から生まれてきており、私たちは一つであることを伝えなければなりません。イスラム教国にも幸福の科学の教えが真実であるということを伝えられます」

 イスラム教徒の多くは、「アッラーは教えや戒律に従わない者に厳しく、地獄で永遠に拷問され、苦しみに終わりがないと教えられている」という。神の裁きや罰に対する恐怖心から礼拝や断食などの宗教行為をしているイスラム教徒は、まさに愛の神の「許し」を待ち望んでいる。

 大川隆法総裁は近著『智慧の法』で、エローヒムであり、天なる父であり、アッラーである至高神エル・カンターレについて、こう述べた。

「イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、仏教といった宗教の違い、あるいは、その他のさまざまな思想・信条の違いによって、この世的に憎しみ合いが生まれています。しかし、そのようなものをなくすのが、エル・カンターレの使命なのです。

 幸福の科学では、『エル・カンターレとは、さまざまな世界的宗教を導いてきた存在である』と説明していますが、普通の日本人の常識から考えるならば、『それはそれは途方もない夢想であり、空想であり、あるべきことではなく、学問的に認められることではない』というのが、括弧付きの“常識"でしょう。

 しかし、イエスが語ったように、その“果実"がどうであるかを見れば、その“木"がよい“木"であるかどうかは分かります」

“果実"がすでに中東のイスラム教徒の心の中で生まれている。

 

 

日本人の「使命」

 中東の憎しみの連鎖の背景には、(1)欧米の人種差別・植民地主義との戦い、(2)スンニ派・シーア派の宗教対立とそれぞれの宗派の原理主義の問題、(3)イスラム教とキリスト教・ユダヤ教の宗教対立――の3つの要素がある。それぞれ3つの要素の解決策はある程度明らかではあるが、現実に解決するためには、「許しの力」や「約束を守る力」が要る。

 そして全体を俯瞰して見たときに、日本人が知っておかねばならないのは、解決策の(1)~(3)はどれも、日本に深く関係しているということだろう。

 日本はアジアで初めて近代国家を立ち上げ、欧米の人種差別・植民地主義をたたき壊した。イスラムを政治から切り離し、国民に自由をもたらした「トルコ革命」のモデルも日本。将来のイスラム教の宗教改革も、日本をベースとする新しい世界宗教がカギを握る。

 1996年に『文明の衝突』を著して、9・11テロやその後の対テロ戦争を“予言"した国際政治学者のハンティントンは、2002年に出版した『引き裂かれる世界』で、日本についてこう述べている。

「アラブの観点から見ると、日本は西欧ではなく、キリスト教でもなく、地域的に近い帝国主義者でもないため、西欧に対するような悪感情がない。イスラムと非イスラムの対立の中では、結果として日本は独立した調停者としての役割を果たせるユニークな位置にある。また、両方の側から受け入れられやすい平和維持軍を準備でき、対立解消のために、経済資源を使って少なくともささやかな奨励金を用意できる好位置にもある。ひと言で言えば、世界は日本に文明の衝突を調停する大きな機会をもたらしているのだ」

 ハンティントンは自身のことを「俯瞰図の男」と呼んでいた。世界の動きを大きな目で見て、地理的条件、その国の宗教や価値観、国家間の関係などについて、ありのまま解釈することに努めてきたという。そういう観点から、世界が日本に文明の衝突の調停者のチャンスを与えていると結論づけたのだった。

 今の時点では、イスラム国による人質事件を受け、海外で国民を守れるか右往左往している状態だが、中東・アラブでの対立・紛争の解決策を考えれば考えるほど、日本の役割は大きい。

 イスラム教圏とキリスト教圏を仲裁し、さらには、イスラム教そのものをイノベーションできるよう導く。この「使命」を日本人は受け止められるだろうか。

(綾織次郎)

 

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