カトリック教会でローマ法王に次ぐ最高顧問であるオラニ・テンペスタ枢機卿が、先月ブラジルのリオデジャネイロで強盗団に襲われた。その際、枢機卿が強盗を「許した」ということが注目されている。

地元サンパウロ新聞によれば、枢機卿はラジオ局に向かうため大司教邸を出た直後、拳銃を構えた3人組に取り囲まれた。同行していたカメラマンによれば、男が枢機卿の頭にいったんピストルを突きつけたが、枢機卿に「教会関係者か」と質問。そうだとわかると、車を奪うつもりだった男は「こんなことはしたくなかった。許してくれ」と話しかけ、枢機卿は「わが息子よ、あなたを許す」と応じたという。

ところが男は、枢機卿とカメラマンの持ち物を奪って逃走。枢機卿から奪った指輪や十字架は途中で捨てられているのが見つかったが、カメラマンのカメラは見つかっていない。

まるで、小説「レ・ミゼラブル」で、銀の燭台を盗んだ犯人を許した司祭を思わせるエピソードだ。しかし、宗教的な「許し」とは、決して犯罪行為を許すことではない。罪は罪として反省させた上で、犯罪者であっても神と同じ善なる性質が宿っており、立ち直ることができると信じることである。

今回のケースでは、現実的に「ピストルを持った強盗に抵抗しない」という対応を取ったと考えられるが、カトリックの教えが現代人を救い切れていないことも示唆している。ブラジルでは国民の8割がカトリックであるにもかかわらず、リオデジャネイロでの人口あたりの殺人事件数は日本の約30倍(外務省ホームページ)という治安の悪さだ。こうした社会問題は、無抵抗だけで解決できるものではない。

ブラジルでは犯罪の温床となっている貧困層の解決も大きな問題であり、政治・経済面の努力が急がれる。しかし、国を富ませるためには、国民一人ひとりが善い行いをし、勤勉に働く機運が不可欠だ。国民の精神性に良い影響を与えるためにも、宗教が果たすべき役割は大きい。

人々を悪から遠ざけて善なる行動を促し、個人の発展、国の発展へと導く力を持つ教えが求められているだろう。(晴)

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