2023年5月号記事
幸福実現党 党首
釈量子の志士奮迅
第122回
幸福実現党 党首
釈 量子
(しゃく・りょうこ) 1969年、東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒。大手企業勤務を経て、幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。2013年7月から現職。
釈量子のブログはこちらでご覧になれます。
https://shaku-ryoko.net/
「信教の自由」は人権の始まりにして国の未来を拓く鍵
いま、日本で「信教の自由」が危機に瀕しています。
昨夏、旧統一教会に恨みを持つ人物によって安倍元首相が襲撃されて以降、個人の犯罪に過ぎないものが、宗教全体の問題であるかのようにすり替えられました。宗教団体を利用していた政治家たちが掌を返して、宗教の寄付への規制を強め、宗教法人法改正の議論を進める変わり身の早さには驚くばかりです。
マスコミもこの流れに便乗し、宗教団体と信者のトラブルをことさらに取り上げています。新宗教をまるごと「カルト」と括り、弾圧目的の政治団体を立ち上げる人物も出ています。
私たち幸福実現党の立党時、大川隆法総裁によって書かれた「新・日本国憲法試案」には、人間が神仏の子であることが「人間の尊厳の根拠」と示され、「信教の自由」の尊重が謳われています。断固、日本を中国のような唯物論国家にしないという決意でもあるのです。
中国の民族浄化の核心は宗教弾圧
「信教の自由」は最も大切な人権です。「心の中で何を思うか」という内心の自由こそ、全ての人権の始まりだからです。歴史的に見れば、「信教の自由」から「信仰告白の自由」、「言論・出版の自由」などが出てきたのであり、これがなければ他の自由もありえません。
「信教の自由」は、極めて現代的なテーマです。習近平体制の中国で行われている、ウイグル、チベットの民族浄化(ジェノサイド)も、その核心は宗教弾圧です。
中国共産党を「赤龍(悪魔)」と批判する新宗教の信徒は、強制収容所に送られ、臓器収奪などの苛烈な弾圧に遭っています。伝統宗教も例外でなく、中国全土で仏像や教会が破壊されています。さらに教科書や大学内で「神」など宗教的な言葉を禁句にするなど、習近平政権が「二世信者」対策に血道を上げて信仰心を根絶しようとしている状況は、対岸の火事ではないのです。
このような国家権力による宗教への介入、宗教弾圧を避け、「信教の自由」を守るために、「政教分離」の規定が生まれたというのが歴史の真実です。この「政教分離」の意味を、中国どころか日本でも理解していない政治家がいるのは恐ろしいことです。
政治が宗教の信仰形態や教義などに口を出し、介入することがどれほど危険か。それを認識できないなら、この国はやがて中国に呑み込まれていくでしょう。
フランスの「セクト法」に倣い、社会的問題やトラブルの多い宗教を規制する法整備を進めるべきという議論もありますが、詐欺や傷害など、具体的な犯罪行為については個別に刑法で取り締まればいいだけのことです。
なお「セクト法」は宗教の教義にまで踏み込んだものではなく、今まで一度も適用されたことはありませんが、宗教を規制する法律が存在すること自体、信教の自由を尊重するアメリカからは批判の声が上がっています。
私たちは「宗教には正邪がある」との立場ですが、原則としては、「思想の自由市場に委ねる」べきだと考えます。
神仏の理想を示す宗教が未来を拓く
宗教は本来、神仏の理想・考えを示すものであり、「国家的課題」を解決し、「新文明を創造」する上で絶対に必要なものです。
ロシア―ウクライナ戦争をめぐる混乱を見ても、国連中心の戦後体制は限界を迎えています。バイデン米大統領は、ロシアを専制国家の枠組みに封じ込めて敵視しますが、大川総裁は「自由・民主・信仰を政治の基本原則」とされ、「宗教を信じる国 対 信じない国」という新たな国際秩序の枠組みを示されました。中国を封じ込める上で、この見方にどれだけの先見性があるのか、今後さらに明らかになるでしょう。
また、地球人口が増大する中、多くの人が幸福を享受するために、経済的繁栄の指針が求められます。大川総裁は『コロナ時代の経営心得』の中で、次のような箴言を著されています。
「『リベラル』は『愛』ではなく、なだらかに地獄へと続く、舗装道路である。」
各国政府は、「愛」に見せかけた仮面をつけてバラマキ政策を推進していますが、それは「貧しさの下の平等」という地獄への道に通じています。「嫉妬心の合理化」である共産主義思想ではなく、感謝・報恩の心で新しい価値を生み出す起業家の活躍を祝福する「自助努力からの繁栄」が、豊かさへの道を開きます。
「信教の自由」を守ることこそ、未来を拓く原動力なのです。