1951年、サンフランシスコ平和条約の署名式に出席した吉田元首相。(Wikipediaより)
《本記事のポイント》
- 吉田ドクトリンを堅持すれば、「どの国が敵か味方か」他国に振り回される
- 日本は主体的に人権意識や正義を打ち出せていない
- 憲法9条改正は世界に対して責任を取れる国になるという決意の表れ
自民党が安全保障をアメリカに依存するようになった原点は、戦後間もなく、吉田茂元首相が打ち出した方針にある。
防衛はアメリカに任せて経済だけに専念することが正しいという「吉田ドクトリン」によって、日本が失ったものは計り知れない。そのいくつかを挙げてみたい。
敵の脅威のレベルをアメリカが決めることに
20世紀の政治哲学者カール・シュミットは、「友と敵とを区別できることが主権国家の本質的要素である」と述べたことがある。
しかし日本は、オバマ米大統領が北朝鮮の脅威を低く見積もって「戦略的忍耐」を対北政策として掲げたとき、アメリカに追従せざるをえず、北朝鮮を「敵」とはできなかった。
本来ならば、日本はアメリカ追従を放棄し、忍耐などせず、北朝鮮を「敵」としなければいけなかった。2009年に北朝鮮が日本列島上空にミサイルを通過させたときから、敵基地攻撃能力を備えるべく動くべきだった。
それができなかったのは、吉田ドクトリンを堅持し、自民党が「親米保守」の立場でアメリカに追従し続けてきたからである。
何事もアメリカの顔色をうかがう「被保護国」に
「アメリカに守ってもらわなければならない」という事情があるがゆえに、アメリカの顔色をうかがうことなしに、日本の立場を表明できない。日本はアメリカの被保護国に転落したと言っても過言ではない。
2015年8月に発表された安倍首相の談話では、先の戦争で日本に植民地解放の大義があったことも、アメリカの原爆投下が民間人の大量殺戮だったことも指摘できなかった。それどころか、日本を「世界秩序の挑戦者」に貶め、自虐史観が強化された。
「出さなければよかった」と思った人も多いはずだ。靖国参拝も、本来は国内問題であるにもかかわらず、諸外国の顔色をうかがい、中曽根首相以降の歴代首相は控える傾向が出てきた。
主権国家ならば、国家が自分の意志で物事を決断できなくてはならない。その意味で、日本は「半主権国家」の状態が続いていると言えるだろう。
これも吉田ドクトリンの毒水であり、依存的な親米保守路線の弊害である。
正義の探究を放棄した「クラゲ国家」に
大川隆法・幸福の科学総裁は、2012年12月の講演「地球的正義とは何か」で、北朝鮮の2000万人の国民はアウシュビッツに収容されているようなものだと指摘し、「北朝鮮の体制下で監禁された2000万人を解放すること」の大切さを訴えた。
しかし自民党は、北朝鮮が全体主義体制下でいかに自国民を苦しめようとも、「拉致被害者」しか問題視してこなかった。もちろん拉致被害者の救済は急務だが、人権を無視されているのは拉致被害者だけではない。北朝鮮や中国、チベット、ウイグル、台湾、香港の民主活動家の苦しみにも、もっと耳を傾けなければいけないだろう。
アジアの盟主たらんとした戦前の日本人は、欧米列強の植民地支配下にあるアジアの同胞たちが途方もない人権侵害を受けていることに、決して無関心ではなかった。当時、日本は、世界で最も人権意識の高い国家であったと言っていい。
現在の日本での、アジアの同胞に対する関心の低さは、「国防・外交については、アメリカに任せるべき」で、「日本人が為せることは何もない」という意識からきているのではないか。「考えても無駄だから一国平和主義でいい」ということになってしまい、何が正義なのかを考えない、クラゲのような国家になってしまった。
こうした風潮を助長してきたのも、長らく吉田ドクトリンを引き継いできた自民党の親米保守路線であろう。
信仰心と愛国心を喪失させた
吉田ドクトリンの毒水の最大のものは、日本人の信仰心と愛国心を喪失させたことだろう。
祖国防衛のための軍は愛国心の象徴である。古代ローマの政治家キケロは「祖国に役立つためには、自分の命を懸けることに躊躇する人が、ひとりでもあるだろうか」と述べ、当時のローマの風習である祖国愛と自国防衛について語った。
吉田首相がアメリカからの憲法改正の要請を断り、自衛隊の合憲性が曖昧になるとともに、日本人は、自分の命以上に護るものがあるという尊い価値観を失った。
また、愛する国を護るという行為は、祖国を創った神様を愛するということでもある。聖なる土地を護る行為は、過去のギリシアやローマの例を挙げるまでもなく、御神事に属する。
大川総裁が10月5日に収録した吉田首相の霊言で、吉田首相の霊は、「日本の神様への信仰を捨てれば平和になるというドクトリンを敷いた」「国家神道もいかがわしいと思っていた」と述べていた。つまり、戦後の始まりにおいて、日本を導いてきた神様を日本から追い出してしまったのである。
信仰心を失うとともに、善悪の判断力が極端に弱い、クラゲのような国家になったのはそのためである。
戦後70年、日本人は、信仰心と祖国防衛の誇りを失っただけではなく、世界正義の実現にも無関心になってしまった。これだけの大国の国民の多くが、営利に汲々とし、小さな私的幸福に埋没するようになった罪は大き過ぎないか。
日本を誇りある国家に
トランプ米大統領は、9月に行った国連の演説でも国家の主権を尊重する立場を表明していた。アメリカに日本の主権を認めさせ、よい意味で自立した国家同士の関係をつくっていくことができるだろう。
いま日本に必要なのは、吉田ドクトリンに流れる商人国家根性から脱皮し、世界に対して責任を取れる、本来の誇りある国家に立ち戻る決意である。その決意の表れが憲法9条の改正だ。
自民党内には9条2項を温存しながら3項で自衛隊の存在を記述するという案があるようだが、それでは戦えない自衛隊を恒久的に定めることになる。9条2項の温存案は「吉田ドクトリンの毒水の温存案」に他ならない。
左右抱き込みの党略で憲法論議を行えば、将来に禍根を残す。正しく改憲世論を盛り上げ、政治家は日米で共同して世界の繁栄を実現する国家300年の計を構想すべきである。
(長華子)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『吉田茂元首相の霊言』 大川隆法著
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幸福の科学出版 『国家繁栄の条件』 大川隆法著
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2017年9月17日付本欄 日本人の生存権をアメリカに委ねる自民党政治の限界 主権国家として国を守るためにすべきこと