人類史上初めて、核兵器の凄惨さを経験した広島は6日、71回目の原爆忌を迎えた。
平和記念式典では、松井一実・広島市長が「平和宣言」で、5月に現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領の演説を引用し、「核兵器のない世界を追求する勇気」の重要性に触れた。安倍晋三首相も「核兵器のない世界に向け、努力を積み重ねる」と改めて誓った。
「核実験の全面禁止」は中国・北朝鮮をけん制できる?
オバマ大統領は、広島訪問に続いて、核実験の全面禁止を求める国連安全保障理事会決議の提出も検討している (4日付米紙ワシントン・ポスト電子版)。
アメリカでは、すでに国際的に規制される核実験を行っていない。また、日本をはじめ164カ国が核実験全面禁止条約(CTBT) への批准を終えている。
オバマ氏の決議案は、同条約に批准していない、中国や北朝鮮へのけん制だとみられているが、国際ルールを平然と無視する中国や北朝鮮が、「核実験の全面禁止」を受け入れる可能性は低いだろう。
オバマ大統領には、残りわずかの任期中に核廃絶に向けた一歩を進めることが「政治的遺産」になるとの思いがあるとみられるが、オバマ氏の5月の広島でのスピーチには、広島・長崎への原爆投下に対する謝罪の言葉はなかった。
原爆投下は人類史上最悪の「人道に対する罪」であることは明らかだ。真に核廃絶を求めるのであれば、過去に唯一原爆を投下したアメリカが、この歴史的真実に向き合って反省する必要があるのではないか。
核兵器の善悪とは
世界の国々と協力して核のない世界を目指すのは大切なことだが、核兵器の善悪について考える必要がある。中国や北朝鮮など、国際ルールを無視する独裁国家が核兵器を持つことは絶対に「悪」と言える。しかし、現時点では、国防のために「必要悪」の核兵器が抑止力となっているのも事実だ。
日本は、アメリカの「核の傘」で中国や北朝鮮の核兵器から守られていると一般的には考えられているが、最近はアメリカも世界の警察官の役割から退いて行っており、「核の傘」は期待できなくなりつつある。
中国が「アメリカ軍が介入してきたら、アメリカにも核ミサイルを発射する」と威嚇した場合、アメリカが国内の主要都市に何十発も核爆弾を撃ち込まれる危険を冒してまで、日本を守るかは疑問だ。
「核廃絶」の理想に向けた「抑止力としての核」という現実
日本が今考えるべきは、「二度と原爆を落とさせない安全保障体制を固めること」だ。
3日に発足した第三次安倍内閣で防衛相に任命された稲田朋美氏は、過去に核保有を「国家戦略として検討するべきだ」と述べていた。
5日の記者会見では、憲法9条で核兵器保有を禁止しているわけではないとする政府見解を踏まえ、「憲法上、必要最小限度がどのような兵器であるかということに限定がない」としながらも、「現時点で核保有はあり得ない」と述べた。本心では核の必要性を認識しながらも、はっきりと核兵器保有の可能性を語ることができない空気があるようだ。
中国や北朝鮮などの独裁国家が核兵器を保有しているにも関わらず、「核廃絶」という理想を求めているだけでは、それを無視する国に有利な環境を整えてしまう恐れもある。
世界で唯一の被爆国である日本こそ、抑止力としての核装備を持ち、二度とあの惨禍を繰り返さないための守りの姿勢を固めることが必要なのではないか。
(小林真由美)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『原爆投下は人類への罪か?』 大川隆法著
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