香港の明報新聞の編集者姜国元氏が解雇されたことに抗議し、数百人が同紙本社前でデモを行った。2016年5月2日。AFP=時事

2016年8月号記事

香港・現地インタビュー

雨傘革命は終わっていない

香港の行政長官を選ぶ自由な選挙を求め、2014年に香港で起きた雨傘革命。

その後も自由を守る戦いが続いていることは、日本であまり報道されていない。

(編集部 長華子)

「雨傘革命を支持したため、広告収入面で打撃を受けました。私の会社の創業者であり、上司でもあるジミー・ライは、火炎瓶を投げられたこともあります。暗殺の計画もあったほどです」

こう語るのは、香港で唯一、中国系資本に買収されていない新聞社「ネクスト・メディア」のワイ・ホン・ユン社長だ。

雨傘革命は、2014年9月に始まった民主化要求運動。17年に予定されている香港の行政長官選挙で、中国政府が自由な立候補を阻む選挙制度を決定したことに抗議して、数万人の香港市民がデモを行った。

しかしこの雨傘革命は、それ以前から続く自由を守る戦いの一部にすぎない。日本では大きく報じられなかったが、雨傘革命が起きた年の1月、香港の一流紙「明報新聞」の編集長が突如解任され、2月、白昼に刃物で襲われて重傷を負っている。

特に言論の自由に対する中国の圧力は、雨傘革命の後、強まり続けている。今年2月、中国の習近平国家主席は中国メディアの代表らを集め、「メディアの姓は党である」と伝えた。姓が党とはつまり、中国共産党とメディアは家族であり、党に対して絶対的な忠誠を誓わなければならないという趣旨だ。当然、その影響は香港にも及んでいる。

今年、世界的に話題となっている「パナマ文書」を特集した明報新聞の著名編集者が、5月に突然解雇された。このパナマ文書には、資産を隠している人物のリストとして習近平氏の親族の名前も記載されている。

今、香港の自由がじわじわと奪われている。国際世論を形成し、中国に圧力をかけていくためにも、日本でこの事実を知る人を増やさなければならない。

雨傘革命後も香港の民主化に取り組む人々の声を紹介する。

次ページからのポイント

インタビュー / 「新聞の社説が中国寄りに変わってきている」 ワイ・ホン・ユン氏

インタビュー / 「中国本土にも民主化のうねりを起こしたい」 ベニー・タイ氏

インタビュー / 「香港の未来は私たちが今何をするかにかかっている」 アグネス・チョウさん