アメリカの上院情報委員会が昨年12月、CIAの拷問に関する報告書を公開した。そこには、9.11テロから10年以上の間、CIAが捕まえたテロの容疑者を拷問していたことなどが克明に記されている。

ジュネーブ条約などに抵触しないように、CIAは自らの行為をTorture「拷問」ではなく、Enhanced Interrogation Technique 「強化尋問技術」と呼んでいるが、その内容を見れば、拷問以外の何ものでもないことが分かる。

今回の報告書は、この10年の間、アメリカが直面してきた問題を端的に示していると言えるだろう。確かにテロと戦うことは「恐怖からの自由」という正義に合致したものだ。しかし、その手段が行き過ぎた場合、「自由」や「法の支配」といった価値を守ろうとして、逆に、失うものも大きい。

CIAは、拷問によって貴重な情報を得たとも述べている。しかし、報告書では「CIAの全ての捕虜が貴重な情報を提供したという結論は、CIA自身の記録にはない」としている。拘束され、拷問を受けた者の中には、結果として死亡した者や、人違いだった者までいるという。

また、1983年時点でCIAが作成したマニュアルには、物理的な拷問は捕虜に「憎しみ、敵愾心、反抗心を芽生えさせる」とし、拷問は有効ではないと明記されている。これまでCIAが行ってきた拷問は、CIA自身の方針に背いているのだ。

9・11以来、アメリカは「法の厳守」「自由」と「安全」の間で揺れ動いてきた。具体的には、「数時間後、どこかでテロが起きると判明した状態で、それに関する情報を持った捕虜がいた場合、どうするか」「テロを防止するには、監視の網をそこら中に張る必要があり、自由の侵害が多少あっても仕方ないのではないか」ということだ。

しかし、有効な手段でないと分かっているにもかかわらず、拷問を行うことは「行き過ぎ」というそしりを受けても仕方がないだろう。

アメリカ建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンは、「安全を得るために自由を放棄する者は、そのどちらも得られないし、得るに値しない」とした。「安全」と「法律」、または「安全」と「自由」の両立は、民主国家にとっては永遠の課題かもしれない。確かに、9.11以降のアメリカは、安全を守ろうとするあまり自由を失っている側面が強く、今回のCIA拷問報告書は、その極端な例と言える。

いつの時代にも「安全」を脅かす者は存在するが、それに対する対処法が国のあり方を根本的に変えてしまっては、結果的にテロに「敗北」したと言えるのではないか。アメリカは、失いつつある「自由」の価値を守るだけの強さを取り戻す必要がある。(中)

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