2014年8月号記事

【第9回】

シリーズ 富、無限大

繁栄の伝道師たち

変えられない環境、直せない欠点、伸びない能力、拭えない劣等感──。「自分はこの状況から抜け出せるのか」と不安に駆られている人も多いだろう。しかし、20世紀に入るころ、そうした悩みを打ち消す「ポジティブ・シンキング」がアメリカで広がり、多くの成功者と巨万の富を生んだ。その思想の提唱者たちの足跡をたどる。

(編集部 馬場光太郎)

世界一の国を創ったポジティブ・シンキング

アメリカ人は「ポジティブ」というイメージが強い。物事の明るい面を見て、「can(できる)」という言葉を大切にする。また、「どんな人物でも努力次第で成功できる」という「アメリカン・ドリーム」を国の誇りとする。

そんな 「ポジティブ・シンキング」の"本山"とも言えるアメリカだが、150年も歴史をさかのぼれば、禁欲を重んじるやや地味な新教徒の国であり、楽天的な国民性ではなかった 。どこでそれが変化したのか。それは、ちょうど20世紀の大繁栄期のころであった。

この「ポジティブ・シンキング」をアメリカに"伝道"した人物として知られるのが、ジェームズ・アレン、ジョセフ・マーフィー、ノーマン・ビンセント・ピールらだ。彼らの思想は個人の人生のみならず、国の文化をも変え、アメリカの繁栄を実現させた。

(1)ジェームズ・アレン

工場労働者を大哲学者にした「心の法則」

最初に紹介するのはジェームズ・アレン(1864~1912年)。「聖書に次ぐベストセラー」と言われる『Assa Man Thinketh』(邦題『「原因」と「結果」の法則』)の著者だ。アレンはイギリス人だが、自国よりもアメリカの思想に大きな影響を与え、「自己啓発の元祖」とも言われている。

過酷な環境を変えた仏教思想

アレンは、イギリス中部の貧しい家に生まれた。読書好きの父から、毎日のように人生や宗教、文学など様々な話を聞かされて育った。父はいつも「お前を哲学者にしてやる」と話し、アレンもそれを望んでいた。

しかし15歳のときに、失業した父親が職を探すため単身でニューヨークへ渡るも、2日後に強盗に殺されるという悲劇が襲う。アレンは家を支えるため、学校を辞めて働かざるを得なくなった。そこで待っていたのは、工場での過酷な労働の日々。多い日は1日15時間働いた。

そんな困難に直面しても、アレンは「学問を修めて哲学者となる」という夢を捨てなかった 。仲間が酒を飲みに行っているときも、同僚が労働の合間に居眠りしているときも、毎日2~3時間の読書を続けた。

そんな生活を9年も続けたアレンに、一つの転機が訪れる。仏教研究者で作家のエドウィン・アーノルドの著作『アジアの光』との出会いだ。これは釈迦の生涯と教えをつづった作品。 アレンは「今まで考えてきたことが、今の自分を創っている」という仏教の思想に大きな衝撃を受ける

1年後、アレンの人生は大きく変わっていく。ロンドンで個人秘書や文具屋の仕事を見つけ、より多くの勉強時間を確保。西洋の宗教や哲学、仏教、老荘思想、インド哲学などを学び、本格的に哲学者への道を歩み始める。

気がつけばアレンは、新聞や雑誌への寄稿、書籍の執筆を通し、思想を世に問う立場になっていた。

思想書の執筆活動を始めたころ、アレンはイギリス南岸の美しい田舎町イルフラクームに移り住む。そこは哲学的思索には最適の、夢のような環境だった。毎朝、海を見ながら瞑想し、「神と交信していた」と言われるように、聖人のような生活を送った。

1900年ごろの、イギリス・イルフラクーム。 アレンはこの美しい風景を見ながら瞑想生活を送り、『As a Man Thinketh』を執筆した。

1900年ごろのイギリスの工場。アレンは過酷な労働生活の中、「心の法則」で念願の哲学者への道を歩んだ。

心が現実を創る「原因」と「結果」の法則

1902年、アレンは『Assa Man Thinketh』を出版。そこには、自分自身を惨めな労働者から哲学者へと変えた秘密が記されていた。

それは、 「人間の心が人格を創り、環境と運命さえも創る」 という「『原因』と『結果』の法則」だ。心が、清らかで明るく寛容で、愛に満たされると、幸福な人生が展開する。逆に、肉欲、恐怖、疑い、敵意で満ちれば不幸な環境が生まれる。

また、「心は、それ自身が本当に愛している、あるいは恐れているものを引き寄せる」ため、確固たる信念や夢は現実化し、未来への不安は不幸を引き寄せてくる。

アレンは、「この法則自体が私たちに対する神からの信頼と約束だ」としている。 この法則を理解し体得するには、常に自分の「思い」を観察し、「それが自分や環境、他人、人生環境にどのような影響を及ぼしているか」を入念に分析することが必要だという

アレンの"予言"

同著の「人生のビジョン」についての章に、興味深い記述がある。 「貧困の中、過酷な労働を強いられた若者が、心に理想を描きながら、わずかな余暇を有効に用いて潜在力を開発していた。すると、彼にふさわしいように環境が変わっていった。いつしか彼は、人々の運命を変え、世界的な影響力を手にし、若い頃の理想を実現していた」

これは他でもない、アレンが心の力で哲学者への道を拓いた人生そのものだ。しかし同著を書いた時点では、彼はまだ無名。「この本が世界に広がっていく」という予言のような内容は、まさに「信念が実現する」ことを証明したと言える。

その後、この本は世界中で愛された。「成功哲学の祖」と言われるナポレオン・ヒルをはじめ、数多くの啓発家が様々なところで引用。 「近年の自己啓発書のほとんどが、アレンのシンプルな哲学に具体的な事例をつけたものにすぎない」という指摘もあるなど、その影響力は計り知れない