英誌エコノミスト5月4日号の表紙は、画像処理によって清朝時代の皇帝服を着せられた習近平・中国国家主席。習氏が近年の中国トップの中でもひときわ帝国主義的だとの風刺だろう。記事でも、習氏が掲げる「中国の夢」というスローガンは「国家のためでなく国民のための夢であるべきだ」と鋭く批判している。

以下、抜粋。

  • 国のトップに就任以来、習氏は「中国の夢」(Chinese dream)という主義を掲げている。国民同様、国家も夢を見てしかるべきだが、習氏の夢とは何か?
  • 毛沢東のマルキシズム、江沢民の「三つの代表」、胡錦濤の「科学的発展、諧和社会」といった退屈なスローガンに比べ、「中国の夢」という言葉は臆面もなく情緒(emotions)に訴える。その夢は「中華民族の偉大なる復活」と言われるが、国民のためではなく、中国共産党に新たな正当性を与えることが主目的のようだ。
  • 彼の「夢」の危険性の一つはナショナリズムだ。過去に列強の植民地として犠牲になったことに対する、積年の思いの反動である。植民地主義の犠牲だった中国が、今や日本に対する恨みを晴らそうといじめっ子(bully)になっているが、そうした行為は中国自身を含めた東アジアに多大な害をもたらしかねない。
  • もう一つの危険性は、「夢」が実現しても国民ではなく共産党のパワーが増すだけに終わることだ。中国人だってアメリカ人同様、家を持ったり子供を大学に行かせたり生活を楽しんだりしたいのに、習氏は党の絶対権力を強めることにしか関心がなさそうだ。
  • 習氏の描くビジョンを判定する一番いいテストは、「法治」(the rule of law)に関する態度だろう。中国国民の繁栄も幸福も、権力の恣意性(arbitrary power)を抑制することにかかっている。党より憲法が力を持って初めて、党や官僚の腐敗は収まるが、今年1月に「憲政の夢」(The Dream of Constitutionalism)と題する社説を載せようとした新聞は記事を差し替えさせられた。これが習氏の本心なら、中国の先はまだ遠い。

中国の憲法は「言論の自由」を謳っているが、実際には言論の自由はない。国内法や国際法というルールを守れないのは、近代法治国家とは言えない極めてレベルの低い国であり、そんなレベルの「夢」が結局は悪夢に終わることを、中国政府に分からせる努力が必要だ。(司)

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