江戸時代の後期、岩村藩(岐阜県恵那市)に生まれ、明治維新前夜まで生きた佐藤一斎(1772~1859年)。
儒学の名門「林家塾」に入り、塾頭を務め、幕府から昌平黌の儒官に任じられる。現代で言えば東京大学の総長のような役職であり、門人には佐久間象山や横井小楠など錚々たる顔ぶれ並ぶ、「江戸期最後の大儒学者」である。

3月30日発刊の本誌5月号の「佐藤一斎『言志四録』から『人材の条件』を学ぶ──天御祖神の武士道と儒教」では、一斎は孔子の生まれ変わりであり、人々に「天」の御心を伝え、「心を練る」ことを学問の中心に据えていたことを紹介している。
Web版では、2回にわたり、本誌では紹介しきれなかった、江戸後期に87歳まで生きた「生涯現役人生」に焦点を当てる。今回は、その前編。
「老いて学べば、則ち死して朽ちず」の真意を探る
学問、思想、倫理、道徳、修養、処世訓などを説いた『言志四録(げんししろく)』は、幕末から明治にかけて、多くの人々に影響を与え、西郷隆盛も座右の書としたことで知られている。
そんな『言志四録』だが、実は、高齢化が進む現代の日本にとって、とりわけ示唆に富んだ言葉が記されている。例えば、年代順に「学ぶことの意味」を説いた一節だ。
「少(しょう)にして学べば、則ち壮(そう)にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」(川上正光全訳注『言志四録(三)』講談社刊)
少年期に学べば壮年期に何事かを成し遂げることができる。壮年期に学べば老年期に衰えない。老年期に学べば死しても朽ちることはない。
学問が人生を切り拓く力になることを教えた前半部分は分かりやすい。しかし、注意を要するのは、後半の「老いて衰えず」と「死して朽ちず」である。「衰えないもの」と「朽ちないもの」とは何か──この部分の解釈によって、言葉の意味が大きく変わるからだ。
この一節は、「壮年期に学べば老いても気力は衰えない。老いて学べば不朽の仕事を遺すことができる」と解釈されることが多い。いつの時代、どの国にも、老いてなお学び続け、不朽の業績を遺す人物はいるので、この解釈は間違いではないだろう。
ただ、本誌で紹介したように、一斎が「人の魂は天から肉体に宿り、死後は天に帰ってゆく」と説いたことを考慮すると、この言葉の解釈は大きく変わってくる。






















