《本記事のポイント》

  • 政府の「見える手」による介入で、再分配を推し進めるのか
  • 国民の政府不信の声は聞こえるのか
  • 「新自由主義からの転換」が「自助論の精神」の放棄であってはならない

自民党総裁選で、岸田文雄新総裁が誕生した。

経済政策としては、「新自由主義からの転換」というスローガンのもと、「成長と分配の好循環」を掲げる。中曽根康弘元首相や小泉純一郎元首相以来、重視されてきた「新自由主義」から転換し、「格差是正」により「新しい日本型の資本主義」を目指すという。

自民党総裁選に出馬した候補者はいずれも、「格差の拡大」を課題として取り上げ、再分配の必要性を訴えた。そこからさらに「新自由主義からの転換」を訴えたのは、岸田氏のみであった。経済政策に関しては、左派同士の選択選挙が先の総裁選だったのだ。これは米民主党内の左派と急進左派の派閥抗争を見るかのようで、実に気分が悪い。

岸田氏の経済政策の中身はそれほど詰まっていないようだ。具体化されているのは、「消費税を10年間は上げない」「今年の年末までに数十兆円規模の経済対策を取りまとめる」といった点だろう。「衆院選を意識したバラマキ」に力を入れる可能性があるようにも見える。

岸田氏は、「国民を幸福にする成長戦略」と「令和版所得倍増のための分配施策」の議論を進めながら、具体的な中身を詰めていく段取りである。

「新自由主義からの転換」は本来ラディカルであるのに、「温和」で人当たりのよい岸田氏の定評もあって、そのラディカルさを警戒する人々が党内にも国民にも少ないようだ。

衆院選の勝利に向けた左派を取り込むためのスローガンに過ぎない面もあるだろう。だがバイデン米大統領も「温和」で人当たりがよく、民主党の顔として選挙戦を勝ち抜いた後は、全体で5兆ドルもの法案を通そうとしていることを思うと、「人当たりのよさ」だけで評価するのは禁物である。

政府の「見える手」による介入で、再分配を推し進めるのか

新自由主義とは、民営化や大幅な減税・規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とし、「小さい政府」を実現し、国民の自由を拡大する経済思想である。

この思想が主流派となったのは、ケインズ政策の失敗が目に見えて明るみに出た1970年代である。当時、ケインズ主義的な財政出動をやり続けたことで、「高インフレ」と「高い失業率」というスタグフレーションに見舞われた。政府支出を増やせば人々が消費を増やすので乗数効果が働き、景気が上向くとするケインズ理論は「嘘っぱち」だと判明。そこで「大きな政府」から「小さな政府」へと大転換が行われた。

「新自由主義」の理論的支柱となったのは、ミルトン・フリードマン博士や、フリードリッヒ・ハイエク博士、サプライサイドのアーサー・ラッファー博士である。彼らがイデオローグとなり、「小さい政府」を目指す「新自由主義」が主役となる時代が到来した。

80年代のサッチャー英首相やレーガン米大統領がこの路線を採用し、国営企業の民営化や大幅な減税・規制緩和を大胆に行った。日本では中曽根首相や小泉首相が採用し、民営化路線を断行した。

実は、日本経済の成長の低迷は、この新自由主義路線が不徹底で、社会主義的路線を歩んでいることにある。世界を見渡しても再分配と経済成長を両立した国はなく、再分配が世界の中で最も進んできたからこそ、日本は低成長を甘受せざるを得なくなったのである。

また「成長と分配の好循環」という理念は、民間の経済活動が活発化することで、市場の「神の見えざる手」が働いて、国民に富を行き渡らせるという意味での好循環ならばよいだろう。だが「政府の見える手」が分配するというものであるなら、立憲民主党の「分配なくして成長なし」という政策理念と実質的な違いはなくなる。

岸田氏が掲げる「新自由主義からの転換」「日本型の資本主義」という政策理念が、新自由主義が重視したような市場原理尊重型からの逸脱を意味するなら、お金のかからない政府をつくる議論がまたもや疎かになる。

さらに成長戦略の4本柱として「科学技術立国」や「デジタル田園都市国家構想」を掲げているが、民間の力を生かす投資減税など、政府債務を増やさない手法はできる限り取り入れるべきである。補助金漬けの政策が助長されるようなことがあってはならない。

国民の政府不信の声は聞こえるのか

岸田氏は政策として数十兆円の政府支出を掲げているので、国民にとっては「増税」となって跳ね返ってくるのではないかという懸念も根強い。

心ある国民は、そうした未来を予想し、政府のバラマキを歓迎するどころか恐れ始め、消費より貯蓄にお金を回している。

またデジタル社会の無料化になじんだ国民は、モノを買うにしても「少しでも安くて良いもの」を探してしまうことが習慣化した。企業側も簡単には商品の値段を上げられない時代になっている。

しかも人口は減っていくばかりなので、大量に商品が売れる時代はやってこない。企業側は活路を求めて海外企業の買収資金などを内部留保で溜め込まざるを得ないので、賃金もなかなか上げられない。

こんな悪循環の中にある日本経済の背後には、「政府は信用できない。未来が心配だ……」という国民の本音が鳴り響いている。岸田氏は「自民党が野党に転落してから、10年以上続けてきた」という国民の声を聞き書きしたノートを「宝物」にしているそうである。こんな国民の本音にも耳を澄ませてほしいものだ。

「新自由主義からの転換」が「自助論の精神」の放棄であってはならない

より大きな問題は、この政策が勤勉な国民性の転換につながりかねないということにある。

バイデン政権の全体で5兆ドルもの政府支出に対して、多くの国民が危機感を抱くのはその額の「大きさ」だけではない。「揺りかごから墓場まで」の福祉政策を実現する「大きな政府」がアメリカの自助努力型の国体を転倒させてしまうことを懸念しているのだ。

国に何もかもを依存する堕落した国民性は、アメリカ建国の理念とかけ離れたものだ。トランプ前米大統領は、「我ら建国の父は、自立は自由の軸になるものだということを理解していた。米国の労働倫理こそ、多くの米国人がかつての豊かだったこの国を作った原動力だ」と述べ、福祉に依存して生きることを奨励する政府を「モラルが欠如している」と批判している。

古代より政治家は、国民が「善き生」を送るよう導く使命を背負っていた。単に動物のように生きたら失敗だからだ。この世とあの世を貫く幸福になる哲学を説いたアリストテレスにとって、政治家が国民を堕落させることはあってはならなかった。

そしてアリストテレスは、政治家が国民の機嫌をとるために、財産を取り上げ、再分配してはならないと口を酸っぱくして幾度も説いている。その上で国の資産は「神事のために奉納されるべし」とまで述べている。奉納金にすれば、政治家が分配できない最も安全な国庫に納められたからだ。アリストテレスのリアリズムが光るところである。

大川隆法・幸福の科学総裁が書籍『智慧の法』で説いているように、「大きな政府は必ずといってよいほど、国民の堕落を招く」ということを、国民は忘れてはならない。

さて古代では国民の堕落をもたらすとされた再分配は、コロナ禍で大流行中だ。だが、経済的にもマイナスの副作用をもたらすケインズ政策よりは、全ての人が与える愛の側に立ち、持って生まれた使命を果たせるよう導くのが為政者の仕事であるはずだ。

サッチャーやレーガンが新自由主義を通して目指したのは、経済の次元に留まるものではなかった。むしろ自助の精神と霊性の向上を目指す「生き方革命」と呼べるものこそ、彼らが実現を願ったものである。

国民の幸福を願うなら、「新自由主義からの転換」が「自助の精神」を失わせるものであってはならないだろう。

大川総裁が、書籍『自助論の精神』のまえがきでこう述べるように、それは民主主義的な繁栄の精神だからである。

自助論の精神は、民主主義的な繁栄の精神である。そして各人が神に近づいていく精神でもある。何もかもを、『災難救助』と同列に扱うべきではない

民主主義を繁栄させてきた精神を喪失することがあっては、全体主義国家・中国とイデオロギーとの戦いを前に兜を脱ぐことになりかねない。

(長華子)

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