《本記事のポイント》
- 「信念の政治家」を生んだ父の功績
- ミルの自由論の影響
- 「目的は魂を変えること」
後編は前編(https://the-liberty.com/article/18441/)に続き、「信念の政治家」サッチャーを形作った信仰心に迫る。
「信念の政治家」を生んだ父の功績
では父ロバーツの信仰とはどのようなものだったのか。ロバーツは教区の信徒にこう語りかけていたという。
「他の人がやっているからといって、同じことをするな」
「まず自分で決めて、あなたが行く道を行くよう説得するのです」
「他の人に説得して信じてもらうためには、あなたがまず強く、完全な信念を持って信じていなければならないのです」
サッチャーは自らを「信念の政治家」と称するようになるが、彼女は、次のようなことを繰り返し訴えるようになる。
「階級間の憎悪を煽ることによって兄弟愛を増すことはできない」
「金持ちをつぶすことによって貧乏人を助けることはできない」
サッチャーがこうした信念を繰り返さなかったら、イギリスの経済的復活はなかっただろう。そしてアメリカとともに冷戦を戦い抜くこともできなかったに違いない。「信念の政治家」に育て上げたのも、父ロバーツの功績である。
自己責任の強調
また、個人の救済に関して、ロバーツはこう述べている。
「救済にたどり着く能力は、個人に内在するもので、それを見つけるのは、各人の責任です」
要するに、内面に深く根付いた徹底した自己責任の強調である。
サッチャーを批判する勢力は、得てして父親は原理主義的な宗教理解の持ち主だったと、ロバーツの信仰を標的にする。
だがそれは真実と異なる。ロバーツは12歳までしか学校に行っていなかったが、ほとんど全ての教養を独学で身に付けた。アリストテレスから始まり、J.S.ミル、ロック、ジェファソンなども熟読するような大変な読書家だったのである。
ミルの自由論の影響
ロバーツの説教から、着実に見て取れるのはJ.S.ミルの影響である。
ミルは、功利主義者のベンサムと戦った人物である。ベンサムが幸福追求のためには、手段は画一的であっても、最大多数の最大幸福は実現すると考えたことに、ミルは納得がいかなかった。それでは個人が真の幸福を手に入れたことにもならないし、社会が進歩したことにはならない、と。
また功利主義では、人生の目的や獲得すべき幸福の内容をあらかじめ「測り得る」と仮定するが、ミルはこの点にも疑問を持った。
幸福とは、各人それぞれが追及するものであるし、そもそもやってみないとわからない。それを量的に測り得るとか、一定の方向に収斂していくといっても無理があり、そう仮定すると「全体」しかなく「個人」は存在しないも同然となる。
だから目的としての幸福だけでなく、実現するための手段である自由をどう確保するかが問題だ、と考えたのである。
ミルは、その自由の担い手は個人であると構想した。
もしその個人が、同調志向や前例主義的な傾向の強い個人ではなく、「充実した個人」であるなら、「自ら正しいと信じたこと」を敢然と主張するようになる。しかも、それに共感する人が必ず現れると信じた。
最終的にミルは、自由があれば、存在している個人と同じだけの改革の中心があると唱えるようになる。
「自由」「個人主義」、そして「自己責任」がロバーツの日曜日の説教にたびたび登場した。
後に彼女が個人の自由を統制する大きな政府を悪だと心から信じ、集産主義ではなく、個人主義の立場から、反EU、反福祉国家を貫けたのも、父の説教が彼女の心に沁み込んだ結果だと言ってもいいだろう。
慈善国家を描いたサッチャー
「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」
サッチャーが強調したのは、聖パウロの書簡にあるこの言葉だった。
自助の精神が減退する社会を憂えた彼女は、ことのほか、この聖書の一節を大切にしていた。そして神が個人に与えた才能を最大限に生かして、個々人が義務を果たすことが重要だとし、再分配よりは「富の創造」が重要だと考えていたのである。
お金のためだけにお金を愛することは無論問題だが、「富の創造には問題はないのです」と語っている。そして富があればこそ、良きサマリア人は善い行いをすることができるとして、富者による騎士道精神が機能する慈善国家を理想として描いた。
「目的は魂を変えること」
サッチャーは、「経済学は方法にすぎません。目的は魂を変えることなのです」と述べている。民営化も減税政策も、彼女にとっては「魂」の問題だった。
雑貨店の娘として、日々の仕事の中で信仰心を実践する父の背中を見て育ったサッチャーは、本物の自助の精神を身に付けた。それは「各人が神に近づいていく精神」である。
福祉国家はその神に近づいていく精神を培う機会を各人から奪ってしまう。そのことを心底知っていたサッチャーはぶれずに、神へと近づく幸福を国民に伝えた。
日本では経済政策の次元だけでサッチャリズムを論じることが多いが、彼女の願いは国民の霊性の向上にあった。父が教区で担った「魂の世話役」を、ひろくイギリス国民全体に対して務め切った政治家、それがサッチャーだった。
(長華子)
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