サッカーW杯のフランスvsアルゼンチン戦を観戦する人々

城取 良太

プロフィール

(しろとり・りょうた)1977年東京都生まれ。山形県酒田市在住。成蹊大学経済学部卒業後、人材コンサルティング業界を経て、幸福の科学に奉職。HS政経塾1期生。趣味は映画鑑賞、サッカー。

生産年齢人口が減少しつつある今、日本も移民政策について考えざるを得ない状況になっている。山形を拠点に政治活動をしつつ、世界を飛び回って政策研究を行う城取良太氏が、諸外国の移民政策の実態をレポートする。

2018年W杯優勝の立役者は「移民」?

2018年サッカーW杯ロシア大会では、フランスが優勝した。この勝利の鍵を握っていたのは、なんといっても「移民」だった。ベスト4に進んだ欧州3カ国に所属する選手たちのルーツを見ていけば、それは明らかだ。

セットプレーの強さで28年ぶりの4強を勝ち取ったサッカーの母国・イングランドも、約半数の選手が移民にルーツを持つ。また日本代表と稀に見る熱戦を繰り広げたベルギー代表は、少なくとも23人中13人が移民系だ。

そのなかでも圧巻が優勝国フランスだ。フランス代表は23人のうち正式な本国出身者はたった2人。欧州出身者を含め9割以上が移民にルーツを持つ選手だ。

今大会、圧倒的なスピードで、一気にスターダムにのし上がったキリアン・エムバペ選手のカメルーンをはじめ、フランス代表の選手たちは、コンゴ、マリ、セネガル、ギニア、ナイジェリア、トーゴ、アンゴラ、モロッコ、アルジェリアなど、アフリカ系を中心とした、多様な国々にルーツを持つ。

遡れば、フランスは、初優勝を飾った1998年W杯フランス大会でも、ジダンやアンリなど、移民系スターたちの活躍によって栄光を手にしてきた。

私が取材でパリを訪れた時、ちょうどフランスVSアルゼンチンの試合が行われており、TVが備え付けられたレストランはどこでも聴衆が外まで溢れ出て、試合の動向に一喜一憂していた。選手がゴールを決める度に、フランスの名のもとに人種を超えて歓喜する姿を見て、日本との大きな違いを実感させられた。

パリ市内の移民街を回って感じたこと

ユダヤ人街でたまたま開催されていた日本の展示会場

パリ市内をめぐってみて気づいたのは、市内各地に移民街がモザイクのように点在していることだ。

まず訪れたのがパリ18区。モンマルトルの丘にも程近い。ここではアフリカ・アラブ系が混在しながら暮らしていた。

この地域は、観光客は少なく、アフリカ・アラブ系住民の割合がグッと増えるため、サンジェルマン・デプレなどパリ中心部の雰囲気とはだいぶ異なる。だが、周りの言葉に耳を傾ければ飛び交うのはフランス語。街並みは活気と猥雑さが混在し、エネルギッシュでありながら、かろうじて優雅なパリの雰囲気もある。危険性を指摘する声もあったが、アフリカ・アラブ圏での在住経験がある者からすれば、どことなく安心感と安定感があった。

マレ地区(3・4区)にあるユダヤ人街にも向かった。ここはパリのほぼ中心に位置し、お洒落なショップやレストラン、カフェなどが集積する若者の街のイメージだ。パリの中でもLGBTの人々が集まることでも有名らしい。

その中でひっそりと佇むシナゴークや、レストランなどの看板に書かれたヘブライ文字を見て、ここがユダヤ人街だと再認識させられる。同じ移民街といってもアフリカ・アラブ系が住む18区とは対照的だ。

さらに、パリ市内の南部にある13区のアジア系移民街にも足を向けてみた。ここには中華系を中心に、ベトナム系など東南アジアの移民たちが多く暮らしていた。

目立つのがアジアフードのレストランだ。漢字表記の中国料理、ベトナム料理をはじめ、多国籍の料理店が立ち並ぶ。客層がアジア系のみならず、白人系も多かったのが印象的だ。

アジア人街の中華系教会

中国人系が多く住む地域で教会を発見したので中に入ってみたが、そこには驚くことに、一般的にオマーン人が被るクンマという帽子と白いディスダーシャを着た大人と多数の子供たちが溢れていた。

皆が教会の地下から出てくるのを見て、まさか地下にモスクがあるのかと気になり、責任者らしき大人に聞いてみた。

すると彼は「いや違う。ここで子供たちにアラビア語を教えているんだ」と笑いながら答えてくれた。

「なぜ、中華街の教会でオマーン人たちがアラビア語を?」という疑問は正直残ったが、フランスらしさも同時に感じた。

これ以外にも10区にはインド人・パキスタン人が住む地域、20区にも移民街があり、パリの街並みのあらゆるところに溶け込んだ移民の姿を垣間見る事が出来た。

フランスの移民政策は「同化主義」

フランスのみならず、歴史的に見て多くの移民が欧州各国に流入しているが、欧州の移民政策の歴史的な潮流は大別すると2つに分けられる。

まず一つは「多文化主義」といわれるものだ。民主主義や法の支配という原則さえ守れば、それぞれの文化や言語、信条や外見などを尊重し、移住先の国内で保持し続けることを積極的に認める考え方である。

歴史的にこの考えを採ってきた欧州の代表例はイギリス、ドイツといった国々だ。

移民にとって非常に寛容な受け入れ姿勢に思える「多文化主義」だが、一方で社会に溶け込まず、接点を一切持とうとしない人種コミュニティーを数多く創り出し、結果、様々な社会問題を引き起こしてきた面もある。21世紀に入ってこの多文化主義の失敗をメルケル首相、キャメロン元首相といった両国のトップが認め、方針転換を図っている状況だ。

この「多文化主義」と対照的な「同化政策」を伝統的に採ってきたのがフランスである。

それぞれの文化的背景などとは関係なく、すべからく移住国のルールに合わせて「フランス人」となること、そしてフランス語をしっかりと習得することが求められる。

「多文化主義」と比較すれば、非寛容さの表れのように感じるかもしれないが、その一方、人種や宗教などによる差別は「自由・平等・博愛」を掲げる共和国の建前から許されない。実際、9割以上の移民たちが、家庭内でも母国語ではなく、フランス語を使い、徐々にフランス人としてのアイデンティティを醸成していく。

そして、同化を求めつつも、「世界の隠れ家」と呼ばれるほど、歴史的に、他国での政治犯やテロリストまでも亡命者として受け入れてきたのがフランスという国だ。

「好むと好まざるとにかかわらず、貧困や迫害のために自分の国から押し出された何百万人もの外国人を受け入れてきたのである」

著名なフランス人歴史家のミシェル・ヴィノックはこう語っている。

近年でこそ、歓迎されない違法な移民を制限する法整備がされているが、未成年であれば、違法であれ無条件に受け入れる寛容さがある。

その姿勢こそ、「自由・平等・博愛」といったフランス革命以来の理想を掲げるフランスとしての矜持なのかもしれない。

移民が支えるフランスの高い出生率

また、移民大国フランスが享受する実質的な果実として代表的なものが、フランスが誇る「出生率の高さ」ではないだろうか。

少子高齢化が年々進行する日本でも、フランスの出生率の高さに着目し、「フランスの充実した社会保障制度と育児支援体制に学ぶべき」という論調もあったが、実態はかなり異なる。

2016年度のフランスの合計特殊出生率は3年連続で減少し、1.92となった。2.0台は切ったものの、未だEU内ではトップだ。

一方、2017年度の日本の合計特殊出生率は1.43だが、この数字はフランス本国出身の白人女性の出生率とほぼ変わらない。

実質的にフランスの出生率を高めているのは、移民女性たちだ。とりわけアラブ系女性たちはイスラム教的にも多産が奨励されるためか、出生率は約3.5を誇る。

人口増政策の本格的展開が待ったなしの日本にとって、これは無視できない数字だと言えるだろう。

フランス最大の問題も移民

以上、移民受け入れのポジティブな面に光を当てて述べてきた。しかしながら、フランスの最大の社会問題が移民問題であることも事実だ。

現地取材に赴くにあたって、一番の目当ては移民が集積する郊外、セーヌ・サン・ドニ県を訪れることだった。だが、フランスに詳しい人に聞くと「絶対に行っちゃだめだ。何が起こるか分からないし、超危険だ」と警告してくれた。そして「あそこにフランスの社会問題が集中しているから調べてみるといい」とアドバイスをくれた。

「日本はこれから本格的な移民政策を採るべきである」と考える私としては、成功事例よりも、むしろ失敗事例の方が参考になるし、貴重なものだ。早速、調べてみることにした。

次回以降はその結果を踏まえ、フランスの移民問題の原因を歴史的、経済・地理的、そして宗教的な側面から考えてみたい。

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