(中央が方政氏、左が矢内氏)
《本記事のポイント》
- 天安門事件の生き証人、方政氏と幸福実現党・矢内筆勝氏が対談
- 中国政府による武力行使は、明確に学生らを殺す意図で行われた
- 日本は、中国の弾圧に異議を唱え、民主化に貢献すべき
1989年6月4日――。中国・北京の天安門広場で数多くの市民が殺された。言論の自由・結社の自由などを求める学生らに対し、中国政府は軍隊を動員。無抵抗の学生が殺戮され、死者は数千人とも数万人とも言われている。
中国では「天安門事件」の存在は抹殺され、犠牲者を追悼した人権活動家が逮捕されるなどしている。しかし、事実を隠ぺいしようとする政府に抵抗し、事件の真相を世に伝えようとする人々もいる。
方政(ほう・せい)氏はその一人だ。当時、デモ隊の一員として参加し、その際、女学生をかばって戦車に両足を踏みつぶされた過去を持つ。両足を失いながらも、やり投げと円盤投げで好成績を収め、障害者スポーツ大会への出場資格を得たが、事件の発覚を恐れた政府から出場を拒否された。2009年、アメリカに亡命し、民主化を求める活動を続けている。
事件の「生き証人」である方政氏は1日、東京都内の幸福実現党本部で、同党の総務会長兼出版局長を務める矢内筆勝氏と対談した。
今回は2回目の来日で、前回は幸福実現党の釈量子党首と対談。その模様は保守系月刊誌『WiLL』(2016年7月号)にも掲載された。
無抵抗の学生に軍事用の毒ガスが使われた
対談に聞き入る参加者。中国政府による残虐な殺戮行為の話に息をのむ人もいた
「まもなく6月4日が近づいてきている。当事者として責任を感じている。あの時何が起こったのか、皆様に伝えたい」と語る方氏。事件の様子をこう振り返った。
「6月4日の朝6時ごろ、デモをしていた学生が、広場から撤退して学校に戻ろうと、大通りを西から東に進んでいる最中のことでした。学生たちを轢(ひ)きながら、戦車が背後から追いかけてきたのです。(中略)
戦車からは毒ガスも出ていました。中国政府は催涙ガスをあまり持っていなかったので、軍事用の毒ガスを使ったのです。検査した病院が軍事用のものだと判定しました。これによる死傷者も数多くいました」
方氏が助けようとした女学生も、毒ガスによって倒れてしまったそうだ。方氏も戦車に轢かれ、意識を失う。気が付けば病院の会議室の床で寝かされ、周りには多くの負傷者がいたという。
矢内氏は方氏の体験を聞き、「中国政府はデモを『暴乱』だとし、武力行使を正当化していますが、実際には、反体制の目的ではなく、中国を良くしたいという思いで学生たちが天安門広場に集まったんですね」と述べた。
「人権に国の境はない」
「政府は明確に学生たちを殺す意図を持っていたのか」という矢内氏の質問に対し、方氏は「意図的に、組織的に、誰かの指示の下、殺戮行為が行われた」と明言した上で、「命令を出した人の責任、実行した人の責任を追及したい」と話した。
矢内氏は、中国で辛亥革命を起こした「革命の父」と称えられる孫文を例に挙げ、中国の民主化を日本から支えたいと語った。これについて方氏は感謝を示すとともに、「人権に国の境はない」と賛同した。
そのほか、天安門事件の「世界の記憶」への登録運動や、中国政府による事件の隠ぺい工作の実態、日本に期待することなど、話題は多岐に渡った。最後に2人は、中国が民主化された未来への展望を語り、対談を終えた。
参加した70代女性は、「一日も早く中国が民主化されることを祈っています。毒ガスが使われたなんて、今日初めて知りました」と、中国の残虐な行為に憤りを表した。
また別の70代女性も、「日本でも、天安門事件のことを知らない人が多くいます。私たち一人ひとりが発信して真実を伝えていかないといけない。隣国の人々が苦しんでいる現実を無視することはできません」と語る。
中国は、民主化を求める声を無視するどころか、公然と弾圧を加えている。日本は知らぬ顔を続けるわけにはいかない。世界が真の意味で平和になるため、「一国平和主義」を脱し、正義を訴えていく必要がある。
(片岡眞有子)
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