イスラム教の聖地、サウジアラビア・メッカへの大巡礼(ハッジ)が、10日から始まった。今年は、世界中から約190万人が集まった。
大巡礼は、メッカとその周辺で5~6日間かけて行われる。礼拝や断食などと並ぶ、イスラム教徒の5つの義務「五行」の1つであり、資金と体力があるイスラム教徒ならば、一生に1度は行くべきとされている。
イラン国民は大巡礼に参加できず
ただ、イランのイスラム教徒は、大巡礼に行けない事態に陥っている。イラン政府が、自国民の参加を中止したためだ。
サウジ政府は毎年、各国と大巡礼に関する覚書を交わし、人数枠を定めて巡礼者を受け入れている。だが、今年1月にサウジアラビアと国交を断絶したイラン政府は5月、覚書への署名を拒否。イラン政府は、昨年9月の大巡礼で、メッカ郊外で巡礼者が折り重なり、イラン人の464人を含め、2426人が死亡した事件についても、「安全対策が不十分」と、サウジ政府を批判している。
一方、サウジアラビアのムハンマド皇太子は、巡礼者の受け入れ態勢は万全だと主張。「イラン市民の巡礼を望まないのは、イラン政府だ」と、巡礼の政治利用を批判した。
イランとサウジの対立の背景にある、シーア派とスンニ派の対立
イランとサウジの国交断絶の背景には、イスラム教シーア派(イラン)とスンニ派(サウジ)の宗派対立がある。国交断絶は、今年1月にサウジでシーア派の聖職者が処刑されたことがきっかけだった。この地域では繰り返し、スンニ派とシーア派の対立が紛争の原因となっている。
この対立の原因をさかのぼると、欧米の植民地支配にいきあたる。この地域の国境は、欧米の都合で引かれたもので、宗派や民族を無視したものだった。そのため、混乱が今なお続いている。
また、アメリカが主導したイラク戦争によって、シーア派とスンニ派の対立は激化した。イラクでスンニ派のサダム・フセイン政権が倒れると、シーア派の政権が誕生。シーア派政権はスンニ派を迫害し始めた。ある意味で、イラクでイランとサウジの代理戦争が起きたともいえる。
アメリカは今年4月、イランと核合意を交わし、親米だったサウジを怒らせた。中東でのアメリカの影響力が低下する中、イスラム過激派も台頭している。
メッカへの巡礼に190万人も訪れるという、篤い信仰心をもつイスラム教徒。イスラム教の成立の歴史にならい、過激で戦闘的な行動を取るイスラム教徒もいるが、大多数はイスラムの教えの通り、平和と寛容を求めている。中東の平和を取り戻すには、イスラムへの理解と共に、欧米の反省も必要となるだろう。
(山本泉)
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