一時期はブームにもなった「ふるさと納税」の本末転倒が問題になっている。

「ふるさと納税」は、自分が選んだ自治体に寄付を行う制度。その額に応じて、自分が住む地域の税が控除される。事実上、住民税などの払い先を選べる制度だ。

過熱する返礼品競争

この制度利用者が近年激増している。寄付への「返礼品」を充実させる自治体が増えているからだ。

しかし、この「返礼品」の豪華さ競争が過熱していることが問題となっている。寄付額の8割近い高額の返礼品を用意する自治体なども現れ、国民側も「カタログギフト」を選ぶような気分で、納税先を選んでいる向きもある。

制度利用の“きっかけ"が目的になっている本末転倒感もさることながら、都市部との不公平も問題になっている。例えば、自治体が返礼品を「納税額の8割分の地元特産品」に選んだ場合、他の地域に支払われるはずだった税金で、地元商品を買い上げることになるからだ。

「使い方」で選ぶ納税額が多い

一方で、「各自治体は返礼品よりも、寄付金の使い道をPRした方が、より多くの寄付を募れる」という指摘もある。

「ふるさと納税」を研究してきた昭和女子大学の保田隆明准教授は、返礼品を受け取らない人や、リピーターとしてある自治体に寄付する人たちの方が、納税額が大きいと指摘。返礼品の高級化よりも、お金の使い方や考え方に共感してもらうことが、継続して寄付してもらう鍵だという。

納税者の中には、返礼品が他より充実していなくても、「自分は都会でお金を稼いで、そこで納税しているけれど、自分を育ててくれた田舎にも恩返しをしたい」「地域活性化しようとする自治体を応援したい」という気持ちで納税先を決めるケースが多いようだ。

人情の機微に即した税制度を

国民の中にあるこうした人情は、あらゆる税の在り方を考えるヒントになる。人間には、「社会貢献として税金を払ってもいい」という気持ちがあるということだ。

松下幸之助は生前、「国家運営の要諦は人情の機微に即した税制度にある」と訴えた。

氏はそのことを訴えるとき、明治政府ができて初めて所得税が設けられたときのエピソードを挙げる。

ある一流のお茶屋に、大阪の名高いお金持ちが、役所から招待されたという。当時は、今よりも役所の権力が強かった時代。何事かと行ってみると、税務署長とおぼしき人が、末席に座り、「明治政府になって、日本の発展のために、こういう国家事業をやらなければなりません。このたび皆さんの収入に応じて所得税というものを新たに納めさせていただくことになりました。ついてはよろしくお願いしたい」とあいさつし、丁寧にもてなしたという。

政府や社会に、こうした納税者への敬意や感謝があれば、彼らも気持ちよく納税ができるというのが人情。

一方、働いたお金を「利益への罰金」のように当たり前に持って行かれれば、働く気も、税金を払う気も失せるというのも、また人情だ。払ったお金を、選挙対策のバラマキや、生活保護者のパチンコ代、不養生者の医療費にも使われているならなおさらだ。

税の根本哲学は「不平等」か「慈悲」か

財政学では、「同じ100円でも、お金持ちよりも、貧乏人の方が効用(満足度)が大きい」といった理由で、再配分的な税制度を正当化している。しかし、「お金持ちへの不平等感」が根本の哲学にある税制は、いつか破たんするだろう。

逆に、「"ふるさと"である国の発展や子孫のために、納税するのは誇らしいこと」という慈悲ある人生哲学の元で、税制や国家運営を考えればどうなるのか。一考の余地がある。

(馬場光太郎)

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